買出しに行った奈良で撮った写真。

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ならまち界隈は再生した古民家ともとからある民家が融合してそれなりの景観がまだ残っているけれど、そういうブームから取り残された旧市街は古くなって手の入れられていない民家と景観に配慮しない建物と取り壊された家の跡地の虫食いがちょっとすさまじい。底抜けに青い空の下で。

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もう休業しているらしい自転車屋さん。

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三条通にあるこのビルには30年程前には「天まであがれ」という居酒屋があって多人数で入れて良心的な値段だったので大学時代には何度もお世話になった。今はハトだけが住む廃墟ビル。

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ちょっと前まで旧市街には数軒のパチンコ屋があったが今はこの一軒だけ。隣にあった建物(これも30年前のことだけど奈良で一番大きな本屋があったが建て替えしてゲームセンターになったりしていた)も取り壊されてカラフルな側壁が現れた。

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ならまちの古い屋根と青空。
他所の人が来て楽しめる町になってはいるのだろうが昔のうら寂れたさまが懐かしい。

イラクに派遣された自衛隊員が25人自殺したそうだ。

 2003年に米国主導で始まったイラク戦争に関連して、中東へ部隊派遣された自衛官のうち、先月までに25人が帰国後に自殺していたことが防衛省への取材で分かった。陸上自衛隊は19人、航空自衛隊は6人に上る。防衛省は「イラク派遣との因果関係は不明」としている。
 陸自は04~06年、イラク南部のサマワに計5500人を、空自は04~08年、計3600人をクウェートに派遣した。海上自衛隊は現地駐留せず自殺者もいなかった。

 自衛隊全体の11年度の自殺者は78人で、自殺率を示す10万人あたり換算で34・2人。イラク特措法で派遣され、帰国後に自殺した隊員を10万人あたりに置き換えると陸自は345・5人で自衛隊全体の10倍、空自は166・7人で5倍になる。

いじめとか、パワハラとかで自殺する人もいるけど、それは存在を否定される言葉や行為に生きる力を蝕まれるからだよね。
人間が生きていくのには、自己愛と他者からの承認が絶対必要なんだと思う。植物に土と水が必要なように。

でも、戦争という場はそれを認めない。

自分の意思でそこにいるということは、自己愛を黙らせているということ。
自分の命を軽んじているということだから。

そしてまた、他者から負の承認を受け続けるということ。
砲弾は「お前なんか死ねばいい、苦しみぬいて死ねばいい、お前なんか生きている値打ちなど全くない」という言葉を圧倒的にそこにいる人に叩きつけるものだから。

直接に死に至る外力を加えられないいじめやパワハラでさえ人は耐えられないというのに、それとは桁違いな暴力にさらされる戦場に人が傷つかないはずがない。
ボーエーショーのエライサンがそれをわからないのは鈍感なわけじゃなく、わかる必要がないからだよね。自分が行くわけじゃなし。

犬のことに加え、母親の医大病院通いに毎週付き添っているのでわやくそな毎日であります。

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↑事前にうわさはネットで見ていたのでコンビニに行った時なんとなく買ったのだがその翌日には販売休止になるとは。
3日間の販売にもかかわらず3本も食べてしまった。
しかし、赤城乳業すげー。

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↑ならまちに買出しに行って夫におごってもらった「ゆき亭」のオムライス。ソースはデミグラスかケチャップを選べるんだけどクチが庶民な私はケチャップ。食べる時にオムレツ部を切り開くタイプのオムライスをはじめて食べたよ。とろふわでうまかった。

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↑ならまちの「をかし東城」さんのケーキ。むらさきいものモンブラン。

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↑富雄の「みつ葉」さんのラーメン。先週月曜日、犬の眼科が早く終わったので慌てて出かけたんだけど先着10食の限定つけ麺は私たちの直前の人までで終了。まぁわかってたけどね。

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↑毎年恒例のようになってきた9月13日のケーキ。近所の「ステラ・リュヌ」で夫が買ってきた。

夫は2週間近くのおかゆ週間で少々減量したのにこういう食生活なのですっかりもとの木阿弥だよ。

姑を介護している人のブログをずっと読んでいる。
かなり悪い仲である姑を何年も介護されてきたことには頭が下がるが、行間に管理者の性格の悪さがにじみ出ていてあまり同情ができない。一番いやなのが、エントリーの最後にブログランキングへのクリック投票を呼びかけているそのやり方で、ただ「おねがいします」ならクリックしないでもないものを、毎度毎度皮肉や呪詛の言葉なので、私がひねくれているからだろうが決してクリックしてやるものかという気になる。
この管理者が本当に意地の悪い人間なのかどうか私にはわからない。実際には人当たりのいい奥さんなのかもしれない。文章を書くとなぜか意地が悪く見えてしまうということもあるのかもしれない。
また、この人が心底意地の悪い人でも、そうなったのは介護が原因かもしれない。確かに姑さんも書かれていることが真実ならたいがいなお人のようなので。
姑を介護することが一生ない私には何も言う資格はないだろうとも思う。
読むとあんまり愉快でないこのブログなのだがなんとなく読んでいる。毎日読むかというとそうではなくて、ああ、しばらく読んでいなかったな、と思うと行って読む、という感じで、まぁひまつぶしなんだろう。
ランキングで上位だということは読んでいる人がたくさんいるということで、シンパの人のコメント書き込みも目立つ。ただいやがらせの書き込みも時々あるようなので私のように同情できない、むしろ反感を持つ、と言う人も一定いるのだろう。
リアルだったらたぶん性格の問題うんぬんよりも生活の違いなどで絶対お近づきにならないタイプだと思うので、そういう人の生活の一端を読むことができるというのはネットならではなんだろう。

新潟の70歳代の女性のブログもよく読む。ブログ形式ではなかった頃からの読者である。この人は緑花文化士なのだ。記事は日々の衣食住のこと、畑のこと、庭のこと、お好きらしい着物や布や縫い物のこと、沖縄のこと、そして最近は原発の署名のことなども。しっかりした文体に、いろんなものをそぎ落としたさっぱりとした気性が透いて見えて好ましい。介護の人と比べると全く真逆に感じる。
ちょっと前に高野文子のマンガのことで記事があったのでコメントを書こうかどうしようかと悩んだけれど結局書けなかった。私のような底の浅いつまらない人間にはお近づきになる資格がないんじゃないかと思ってしまう。

たかがネットの文章で書く人の人間性がそうそう知れるものでもないだろうと思うが、でもその浮遊する人間性の断片で好感を持つこともあり、嫌悪を持ったり。
私も結構長い間あちこちで文章を書き散らしてきたけど、私を心底嫌いな人もちょっとはよく思ってくれる人もいるのかな?
「コイツサイテー!」って思いながら文章を読んでいる人もいるのかもしれない。

ACTAとかいう法律ができちゃうと、ホームページやブログをやるのにずいぶんめんどくさいことになりそうなので、そうなれば今まで書いてきたことなども全部削除かなぁなどと思っている。結構動画なども貼ってるしね。

このブログは今現在、片手で余るほどの人数しかお読みいただいていないのだけれど、なぜだか、私の過去の日記風のブログも含めて読み込んでくださっている人が中国地方のどこかの県にいらっしゃる。お知り合いじゃなさそうだし、どうしてかな?
一方通行なので知る由もないけど、私の書くこと、何かその人に意味があるものになっているんだろうか。