私は、友だちとか知り合いに、何かいやだなと思うようなことをされたり言われたりしても、いつもほとんど黙っている。言い返したり、いやだと言ったりすることがない。

それは何でかといえば、言い返したり、いやだと言ったりしたら、相手に嫌われると思うからだ。

いつも、いやだと思うことをされたり言われたりしても、じっと黙っている。それで、そういうことがたまりにたまってガマンできなくなった時、ハレツする。
私が、いやだと言ったときは、それはもう、ご破算の時、相手との関係がなくなっても構わない、という時だ。

しかし、それではダメだ、と、このごろ思うようになった。

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結婚について、私は、ずっと信念にしていることがあって、それは、関係というものは常に、丁寧に大事に育てなければならない、ということだった。
一緒に住む、婚姻届を出す、ということだけで結婚は完結するのではなくて、それをどう維持するのかということにこそ心をくだかなければならないし、そのためには話し合ったり一緒に考えたり楽しんだりご飯を食べたりということを日々大事にしなければいけないと考えてきた。
そして、その通りにしてきた。
ウチはノロケじゃないが11月22日はとうに過ぎたがなかなかいい夫婦だと自負している。
それも28年間たゆまぬ努力をしてきたからだと思う。

ところがこの間、はたと気がついた。
世の中に人間関係というものは夫婦だけじゃない。
人間関係というものはみな、やっぱり、丁寧に大事に育てるべきものじゃないのか。

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で、自分がどうしてきたか考えた。
相手が会いたいという時にしか会わない。
相手がいやなことを言ってもいやと言えない。

話し合わないし、一緒に考えない。一緒に楽しまないし食べたり飲んだりもしない。
これじゃ何にも育たない。

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私は、大学時代の数少ない友人を、嫌いな同窓生に盗られたみたいな気持ちになっていた。
その嫌いな同窓生は社交的なのだ。友だちはたくさんいるのだ。
私は友だちの多い人というのは苦手なのだ。私の知っている人の範囲内で言えば、友だちの多い人はたいていいい加減だし、その場限りで調子を合わせることが多いし、忘れっぽい。
なんで私はダメでそいつなんだ、と理不尽に思ってた。

でもそれは仕方ないんだ。
私は、花を買って水も肥料もやらない、偽のお花好きなのだから。
忘れっぽくてもいい加減でもお調子もんでも、ちゃんと水をやり肥料もやり育てるから、花は枯れないし育つのだ。
そういう目で、そいつのことを見たことがなかった。

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私の周りには枯れてしまった花の残骸がいくつもある。
それはそれでもう仕方ないと思っている。
よく知ってる。それが枯れきったのではなくても、いまさら世話をしてもこじらすだけで二度と咲かない。

だけど、まだ手遅れになっていないものはあきらめちゃいけない。
だからほったらかして枯れたら棄てればいいやなんてことは、もう、しないでいたい。

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いやなことはいやと言う。
ごめんと言ってもらえたら喜ぶ。
それは私がこの花にちょっとだけでも手を掛けた証だから。

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わかってくれてありがとう。