曇りの予報だったのに、降ったり照ったり強風吹いたり晴れたり雹降ったりした。
桜はもう昨日のうちに無残になってるかなと思ったけれど、今日もまだまだ見られるほどには花が残ってた。しかし寒い。

140406
たぶんフランケティ。

観たDVDとか読んだ本とかあるけどまた日を改めて書く。

昨日の夜、レンタルDVDで「17歳のカルテ」を観た。

境界性人格障害の少女が精神病棟で過ごし同じ病棟の患者とかかわりを持つ中で、自分の障害を自覚し、たとえ欺瞞だらけの世界でも、病院の外で生きていくことを選ぶ、というお話。

もちろん、しっかりと人格障害の病識がある私であるので、そんな短期間でシャバに出られるくらいにビョウキがよくなるのかという懐疑を持って観たのだけれど、主人公は「どこがBPD?」と思いたくなるような程度だった。
だって、私が常に苦しみつつ周囲に見せないように血のにじむような努力をしている、他者を自分の内側に囲い込もうとする行為や、近しい人の裏切りを恐れてその人を試そうとする行為や、怒りや悲しみに周りの人を翻弄するような発作的行為など、まったく主人公に見られなかったから。
主人公に見られたのは自己の不安定さと依存行為だけだった。

ただ、BPDの描写にこだわらなければ、絵もキレイで、女優さんたちがキャラクターを的確に演じていて、最後まで楽しめる映画ではあった。60年代のアメリカの世相描写も楽しめた。
評判どおり、若き日のアンジェリーナ・ジョリーのキレキレの演技に見所があった。特に口先だけでかつての入院患者を追い詰めていくところが唯一人格障害らしき描写かな、と思った。

作中で使われている曲「この世の果てまで」は、私は英語がわからない人だからメロディだけで甘い愛の歌だと思っていたけど、そうではなくて、映画のシーンによく合った意味の歌詞なのだとさっき検索して知った。

しかし、この映画を観て、BPDがこんなものだと思われるとしんどいな。周りもしんどいだろうが、本人はやはり、自分を消滅させたいと始終思わずにいられないくらいしんどいから。

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今日は寒い。明日はもっと寒いのか。いやだよーー

朝起きたら、雨の予報のはずがちゃんと止んで晴れ間も見えていたので、9時ごろ夫の車に乗ってあちこち桜を見ようと出かけた。

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三室山の桜。
橋の架け替えをしたのと同時に、川を差し渡して通る電線に大きなカバーをつけたので、橋の真ん中から川の向こうに三室山を望む絶好スポットが台無しになってしまった。
(この画像は橋の東端から)
利便性も大事だろうがもうちょっとなんとかならなかったのか。

富雄川沿いの道にでて北進するにつれ雨が降り出し空もどす黒くなる。
学園前に花見スポットがあるというので夫に連れて行ってもらった。御岳山大和本宮というところ。
(ホームページの今月の写真がそこ)
そのあたりはまだ雨が降り出していなかったけれど、風が強いし寒いしですぐそそくさと車に戻ってきたら大粒の雨。
同じ学園前のパン屋さんの「エアダール」に連れて行ってもらってパンを買っていたらすごい土砂降りになったけど瞬間的小降りになる。

車に戻って精華町(京都府)のインドネシア料理のお店に向かう。
の前に時間があったので、押熊(奈良市)のブックオフで時間つぶし。夫は探していた本が3冊買えたようでよかった。


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ミーゴレンをふわとろ卵で包んである「オム・ミー・ゴレン」。
なかなか辛口でおいしかった~

普段履きの靴の底がすりへってパックンとなったので、いつもはいてる「ウィルソンリー」の靴の違うデザインのものを探しに高の原のイオンに行ったのだが、あるにはあったけどなんか汚れている陳列品のみなので買わなかった(もう5軒目なのだった。ほしい色があってもサイズがなく、サイズがあっても色がなく、サイズと色があったら汚れていたり・・・)
24号線から新大宮に出てラ・ポーズというケーキ屋さんでシュークリームとケーキを買い、佐保川沿いをしばらく走って車から桜見物。どこも風と雨で桜吹雪。
ついでに郡山城の横も通ってお堀の桜も見た。枝垂桜は完全に散っていた。また富雄川沿いを今度は南下して最後に近所のイオンに寄ってもらってやっとほしかった靴が手に入った。
2時に帰宅。

家に帰ってきたら台風のような風でうるさいうるさいと思いながら疲れちゃったので少し昼寝をしましたとさ。
明日明後日寒いようなのでまたへこむなぁ。

秋にイカリソウの大植え替え祭をして、ずいぶん根が傷んでいるものもあったので、この春の芽出しが遅いような、出ているものでも貧弱なような気がして、ドキドキしている。
うまく回復してくれればいいなぁ。
 
 
 

呪いの話。

私は勉強をしない子だった。
それでも小学校の時はテストで90点以下はほとんど取ったことがないし、中学では特に勉強をしなくても、定期考査の平均点が85点以上は取れていた。

私は家事をいろいろ分担していた。身内が私が小学校の1年の時から中学2年の時まで次々がんになり、母はその看病に忙しかったのと、父が給料袋から勝手に金を使ってしまうので内職や深夜のバス清掃の仕事などもしていたからだ。
母にとっての「イイ子」は、母がそうだったように家のことをしっかりできる子だったから、私は毎日お米も研いだし風呂も洗ったし、弟を保育園に迎えに行ったし子守もしたし、かんたんな夕飯を作って弟に食べさせたし、弟を寝かしつけた。
私は母に愛されるイイ子でいたかった。

通信簿通信欄にはいつも、勉強をしない、書かれていた。
家で予習や復習をしていたらちゃんと取れるような点を取りこぼすから、見かけいい点でもこの子は勉強をしない子だとわかるのだ。
それを見て父母は「勉強をしなさい」というのだけど、私には本当のところ全然勉強をする気はなかった。

最近、なぜ私は勉強をしなかったのだろうと考える。
そして気付いた。それは、母が、私が勉強をしないことを自慢に思っていたからだ。

私は家事をする。高校に入ってから、さすがにちゃんと勉強をしないと点を取れない数学や英語の点はどんどん降下した。でも、それまで通り学校で授業中に聞いたことを覚えておけば点が取れる社会や理科や国語の教科の点は相変わらずよかったので、平均点でいえばやっぱり優等生なのだった。
「つぶらちゃんは勉強ができる」とどこからかご近所で評判になったりしても私が家で夕飯の支度をしているから、ご近所の人が「受験やろ、勉強させへんでええん?」と母に聞いた時に「全然勉強しないのよ~」と歌うように言っていたのはあれは、母の自慢だった。

母は、「勉強をしないのに学校でいい点を取ってくる、家事をちゃんとできる女の子らしい」私が自慢だったのだ。
私はそれを頭でちゃんとわかっていなかったけど、もっと小さい時から母の期待の真の部分を感じ取っていて、だから勉強をしなかったのだ。勉強をしたら、母に愛される子どもになれないとわかっていたのだ。

私はなまくらで努力ができない人間だとずっと思っていたけれど、自分で家庭を持って母のいないところでの生活を送るうちに、私はかなり努力が上手だ、むしろ世間的には努力家の内に入るのだとわかってきた。
それでも、勉強をしないことが、母からの強い支配によるものだとは本当に50歳になるまで気がつかなかった。

さすがに今頃わかっても手遅れだろうな。

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もう植えて15年になるエリスロニウム・パゴダ。
努力家さんだ。

鯨食については半ばあきらめている。

戦争を経験した人がそのうち死に絶えるのと同じように、地域伝統食としてではなく鯨肉を暮らしの中で普通に食べていた世代ももうじきいなくなる。
地域伝統文化は日本では大事にされないし、生活が画一化して中央も地方も差がなくなるとやはり地域伝統食も伝い手がいなくなり消滅する。
日本国中アンケートとったらきっと、「鯨は食べなくてよい」と言う人が8割方は占めると思うんだ。
そういうものは日本では生き残れない。

鯨、おいしいのに。私はもう他人の一生の10人分以上の鯨を食べたからいいけど、鯨が食べられて、しかもおいしいことを知らない未来の日本人は本当にお気の毒としか言いようない。

とりあえず、食えるうちに食っとかないと。
南氷洋以外の捕鯨はまだできるはずだし。私はナガスじゃなくても、イワシクジラで十分です。

今日は忌野清志郎63歳の誕生日。おめでとうーキヨシロー!

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イカリソウ・ルブラム。My sweet heart Kiyoshiro!