昨日は、沖縄でも雪が降ったというのに、奈良の私の住んでいるあたりはまったく雪が降らなかった。どころか、この頃まれな雲ひとつない快晴だった。
午前中、夫の休日のいつもどおりのことで、まほろばキッチンまで野菜を買いに行ったのだけれど、お昼前、家の近所の道路の温度計を見たら、「-2℃」だった。
空は真っ青で日差しもまぶしいくらいなのに、氷点下。
ホントにムダに青空だ。

くだんねーな!
不倫とか、分裂解散とか、どーでもいいじゃんか。

あの、不倫を目の敵にするの、なんでかな?あのタレントさんが不倫して怒っていいのは、相手の奥さんだけだ。赤の他人がいきり立つことじゃない。誰かが不倫すると、病原体が世の中に広まってテメェのダンナも浮気するとでもいうのか。もっと直接、自分に利害にかかわることが他にいくらでもあるのに。怒るトコ間違えてはいませんか?
たとえば、甘利という大臣の金銭授受問題。あの人こんなこと言ってるよ。「安倍内閣の重要閣僚の1人として、総理にご迷惑をおかけしているというのは、本当にじくじたる思いがある」
「はぁ?」
謝るところ、カンペキに間違えているよね。アベチャンにじゃないでしょ?国民にでしょ?
それからアベチャン。
国会の答弁中にこう言ったそうな。「税金というのは国民から吸い上げたもの」
この人のアタマん中はいまだに、国民が小作の水吞百姓で自分はお殿様なんだろうなぁ。貧困率が上がっているのにガン無視で、上げた消費税をストローでチューチュー吸うの楽しみにしているんだな。

「世界にひとつだけの花」がオリコン1位になったそうだけれど、これはこれで怖いように感じた。
わかりやすいことがらによって、あるひとつの方向になだれ打つように行動するポピュリズム。こういうのを権力の側に利用されると戦争への道まっしぐらだ。

ほとんどの人は戦争を望んじゃいないのに、どうして選挙結果はいつも、戦争への道を一歩前に進むんだろう??

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カモジグサ、かな?ふつうなら、5月ごろから穂の上がるイネ科植物を年末年始によく見た。私の花粉症の元凶のネズミムギ(ホソムギ?)まで花の咲いているのを見つけたときにはゾっとした。

子どもの時に食べたもので培われた味覚というものはどれだけ長く人生を送ってきてもたやすく変わったりしないものなんじゃないかと思う。
・・・なんて難しいことはともかくとして、つまり、子どものころに食べたあの味がオレは食いてェ!ということでしかない。

東京を離れてもう37年だというのに、やっぱり恋しい東京の味、なのである。書き始めたらキリがないので自制するが、今言いたいのは「あんまん」のことである。あんまんと言ったってヨルダンの首都のことではない。中華まんの「あんまん」だ。

今や、高層マンションが立ち並び、でっかいイオンモールがあり、立派な未来都市のようになっちゃった江東区東雲には、昭和46年当時、お店屋さんは山崎パン屋と雪印牛乳しかなかった。
東雲はバスの車庫と倉庫会社と運送会社しかない土地だったので、需要があったのだろう、朝7時前からパン屋さんは開いていた。私の家族はできたばかりの都営アパートに住んでいて、冬の寒い朝に母と、てくてく15分ほどパン屋さんまで歩いていって、蒸しケースに入った中華まんを買って朝ごはんに食べたりした。
私は子どものころは小豆餡が苦手だったのだけれど、あんドーナツ(フライ饅頭)とあんまんだけは食べられた。油脂の味が好きなのだと思う。特にあんまんは、ごま油で練り上げられたねっとりした餡が香ばしくて本当に好物だった。

それが、15になって奈良に来て、二度と味わえない食べ物と知った時の悲しさ。
そうなのである。奈良でだって冬になれば蒸しケースにあんまんは並ぶ。見せかけは全く同じだ。でもふっくらした白い肌をポッカリ割って出てくるのは、似ても似つかないべっちょりした小倉餡なのである。関西のあんまんは、中華風の練り餡ではなく、ただの(それも質の悪い)あんこなのだ。

それからずいぶん長い間東京風のあんまんをクチにできなかった。この家に越してきて近所の近商プラザ(近鉄のやっているスーパー)で冷凍の中村屋のあんまんを見つけた時の感動たるや!
ただ、単価が高くて季節限定なのでなかなか食べる機会に恵まれなかった。

2年前ほど前、近所にアピタという、中京圏を本社とするスーパーができた。品揃えが少し東に傾いていて、籠清の蒲鉾を売っていたりして、値段は高めだけれどヒヤカシによく行くのだが、去年の秋、そのパンコーナーに発見したんである。
冷凍でない中村屋の中華まんを。

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これで、398円。すぐさまゲットでしたわ。

中華まんは蒸し器でふかすに限る。せっかくのあんまんも電子レンジじゃ台無しだ。
15分ふかすと・・・

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ほら、このようにふっくら。

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そして、この餡の色艶のよさ・・・

この秋からはこうして、私はなつかしの味をいつでも近所のスーパーで手に入れられるという幸いを得たのである。
しかも、この中華まんはしばしば、見切り品コーナーで200円で売っていたりするのだ。
賢いやりくり主婦であるアテクシとしてはこれを見逃すはずはない。見切り品を買ってきて開封して、ひとつひとつラップにくるみ、冷凍する。そしてまた蒸し器でふかして食べる。極楽じゃ!

・・・

・・・

・・・

これでめでたしめでたしなら、タイトルを「悲報」と書きはしない。
そう、私もちょっと危ぶんではいたのだ。籠清の蒲鉾はいつしか練り物コーナーから消えてしまった。ほんのミニサイズのものでも250円するのだもの、関東のブリンブリンの蒲鉾を食べ慣れない人たちには受け入れられず、いつも売れ残っていたのだ。
そして、中村屋の中華まんも見切り品コーナーに山積みになるようになっていた。私にはうれしい限りだが、これは本当に歓迎していいことなのか、先に落とし穴が待っていないのか。心のどこかに警鐘が鳴っていた。

そして、ついこの間の火曜日である。
またしてもあわよくば見切り品のあんまんを手に入れようとスーパーに行くと、見切り品コーナーにも、通常の陳列棚にも中村屋の中華まんはなかった。
取り扱いがなくなったのだ。籠清の蒲鉾とおなじ運命をたどったのだろう。
もう、あの味をお気軽に味わうことはできないのか。私に残されたのは、冷凍庫に入っている4個のあんまんだけとなった。悲しい・・・

私が東京のあんまんをいつまでも恋しいのと同じように、このあたりの人の心の味は小倉餡のあんまんなのだから、売れ残り取り扱いがなくなるのは必至だったのだ。
ほんの3ヶ月ほど、あの懐かしい味に再会したことのみを喜ぶべきなのではあるが、やはりひたひたと悲しいのである。

さて。
右顎から首の付け根のあたりの不快症状はマシになったり重くなったりをいまだに繰り返している。毎日痛む場所が違うので何がなんだかよくわからない。筋が痛いのか、腺が痛いのか、リンパなのか、血管なのか、耳なのか、それとも神経症状なのか皆目分からない。痛いといっても、ズキズキするわけじゃなく、シクシク痛い。熱があるわけでもなくただ不快なだけなのでもう放っておくしかないのか。これも更年期なのか。ああ、わからない。
左肩から首の骨、背中の痛みはこれは頚椎症なので、ロキソニンテープをずっと貼って、痛みのひどいときはボルタレンの坐剤を、マシな時にはロキソニン錠をそれぞれ使用して、今は少しマシになった。ただ、ロキソニンテープのあとがかぶれてしまい、もう貼っていないのに毎日かゆみの発作が襲ってきて身もだえしている。そんなときは、定規の角でカシャカシャ搔いている。
そんな痛みの合間に、二階建て頭痛が襲ってきて、これも結構苦しんだ。それがようやく鳴りを潜めたと思ったら、昨日はまた狭心症の発作だ。そして今朝は、どうも右肩がヤバイ(あ、これは従来どおりの使い方の「ヤバイ」です)。
何でオレこんなにイジメられちゃってるのか・・・ツライわ。

このブログも年寄りの愚痴めいてきたな。常から毎日のように聞いている母の愚痴にソックリだ。あーあ。

さかのぼるが、実家の御用の方は無事過ごせた。次は母の日までお役御免だ。
この冬はこんなにあたたかいのにどうしてこんなにメゲているんだろう、と思っていたら、なんのことはない、やっぱり冬将軍はお出ましで、このところの寒さよ。これはたぶん陰謀だな。気を緩めさせておいて、圧倒的なダメージを与えるという・・・
来週には少しマシになるのかなぁ・・・
 
さてさて。
読んだ本を忘れるという、人生史上ありえないことをやらかす人間になりつつあるようなので、今年は読んだ本を記録することにした。

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毎度おなじみ。100均で買ってきたノートでござる。

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字も書かないと忘れるのでこんな風に書くのもいいのかも。

元日から今日まで読んだ本は

「64」 横山秀夫
「火花」 又吉直樹
「悲嘆の門」上・下 宮部みゆき
「きわこのこと」 まさきとしか
「スナーク狩り」 宮部みゆき
「英雄の書」上・下 宮部みゆき
「鳩笛草」 宮部みゆき
「刑事の子」 宮部みゆき
「龍は眠る」 宮部みゆき

ああ、宮部みゆき祭だ・・・

心に残った文を。

”紡ぐ者”(註:作中で「物語を作り出す者」の意)どもは、己の罪を自覚しようがしまいが、一方で希望を、善を、美を温もりを、命を寿ぎ、人に安らぎを与える物語を紡ぐことで、かろうじて業と共に生きることを許されている。

「”法”は人の歩みの後ろにつくり上げられる。だからこそ過ちもある。しかしそれでも、”法”を忘れて人が人の前に、手前勝手に己の物語を作り、それを生きようとするならば、それは罪なのだよ」
--「英雄の書」より

上の方はネトウヨ小説家に、下の方はわれらがソーリダイジンにぜひぜひ味わってもらいたい文だ。

リンパの腫れは引いたのだけれど、それとは直接関係ないのだろうがたぶん頚椎症で、首を立てている状態だと神経にさわるらしく、左腕がしびれてきて頭痛もしてくる。
facebookは時節柄お友達の投稿が多く、長くpcの前に座っていられないと見逃しばかりでそれが申し訳なく、心理的にも負担になるので、ちょっと休むことにした。
 
昨日はまた、心理的な負担がさらに増す年賀状もきて、ただでさえマジウツなのにもうアカン状態。その上、今日は実家に年始に行かねばならぬ。オレ、ちゃんと浮上できるんやろか(笑)
 
今年はココもちゃんと書こうと思っていたのに、三日坊主になっちゃいましたが、でも、体調が戻ったらまたがんばります。ごめんちゃい。

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出来心で買っちゃったクレマチス・アンスンエンシスが咲いた。だって238円だもん買っちゃうよなぁ。

暮れに図書館で6冊本を借りてきて、ウチ2冊は去年の内に読んでしまって、昨日の夜から「64」という本を読み始めた。
警察小説はあんまり性に合わなくて、複数の作家のものを何冊か読んだのだけれど、好きじゃないからかあんまり頭に残らないのだが、この本は書評がよかったなぁという記憶があって借りてきたのだ。
で、今朝から本腰を入れて読み始めたのだが、読み進めるうちに、なんか既視感のあるフレーズが頻出する。エピソードに「これはああなるよね?」と思いながら読み進めると果たしてそのとおりになる。
・・・またやってしまった!これは絶対に読んだことのある本だ。読んだはずだ。はずなのに、どうしても結末が思い出せない。
推理小説なら、「犯人は誰だ」と思いつつ読むのは当たり前なのだけれど、今日の私の場合は「犯人が誰か終わりまでに思い出せるだろうか、それとも最後まで犯人を思い出せないまま読み終えるのだろうか」という別の意味でのスリルを味わいつつ読んで、そして、やっぱり最後まで犯人がわからなかった。
どうなってるんだ私のノウミソ。これはアカンのちゃうか?
つい最近も、ドラマになっていた「無痛」の続編があると聞いて図書館で借りてきて読んだのだけれどこれも既読感があって、読んだことがある読んだことがあると思いつつやはり結末が分からず最後まで読んでしまった。
キケンだ。ボケたらどうしよう。それとも、もうとっくにボケているんだろうか。

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ここにちゃんと書いておいたら忘れないだろうかと思って書いておく。今夜からはやっと順番の回ってきた「火花」を読む。