3月5日に、犬が死にました。

記憶は日々上書きされてしまうから、出来るだけ事実に近いことを書きとめておかないといけないとは思うのだけれど、あの時の様子を文章につづるのが辛すぎて、まだとても書けそうにありません。

手持ち無沙汰です。
毎日、犬の世話が私のタイムテーブルの軸だったので、空っぽのまま時間が過ぎるようです。
朝夕7時が目薬の時間だったので、「あ、7時・・・そうだ、もう目薬ないんだ」と。今朝もやっぱり同じように7時という時刻に注意喚起して即時にそれを頭の中でキャンセルして。今朝で7回目です。
2時だ、スープとらなきゃ、ご飯食べさせなきゃ・・・そんなことばかり。
いつか、慣れるのでしょうか。慣れるのだろうけれど、それもかなしい。

亡くなった日の朝に、急にクシャミが止まらないようになって、でも、じっとしていると嗚咽がこみ上げてくるので、これまで目の見えない犬がぶつからないように部屋中にとりつけていたガードやクッションを全部はずし、犬の足が滑らないように敷いていたコルクタイルをはずし、犬の嘔吐物でにおいの染み付いたラグをはずし、掃除機をかけ・・・なんてバタバタやっていたらクシャミのはずみでぎっくり腰になってしまって、でも身動きつかないと困るので鎮痛坐剤を入れて、6日も、7日もずっと掃除や洗濯をしています。それでも手を休めたり、ふと気が緩んだりしては泣き、ひとしきり泣くとまた動き始める、そんな感じです。

庭の雪割草が咲き始めていて、私が心待ちにしていた春がきたのに、なんだろう、まるでときめかない。
心が鉛になったみたいです。
喪くす、というのは、こういうことなのですね。

160308

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