今日は三七日だから、也々が家に来た記念日のような特別な時によく作っていた、鶏肉と野菜のハンバーグを作って也々に供えた。
大きいままでドーンとやっても食べなくて、クチに入るくらいにちぎってやらないとダメで、そういうところデリケートでお上品なんだなぁ、「親」の私たちに似ないで。
私の妄想の中の天国では、どうやって食べているものだろうか。誰か専属の、お世話係がついていてくれているだろうか。
 
なんてな。

ビッグコミックオリジナルの連載の中で「まんが親」は結構楽しみなのだが、最新号の中に、「最後のカレー」というエピソードが出てくる。
18歳で親元を離れた吉田戦車氏がそれから今まで母親の作るカレーを食べていず、これからもたぶんないと思われるので、18歳までのいつかの日に「最後の母親のカレー」を食べた日があったはずである、という話。
 
私も、夫も、このエピソードにそれぞれに胸をつかれた。
也々が死んで、思い知っているものであったから。
 
いろんなことを思い起こす。毎日毎日していたことだけれど、この死病を得てからでも、それ以前でも、できなくなったことがいくつもあり、最後に「それ」をしたのがいつだったか思い出そうとするのだけれども、ちゃんと覚えていることもあれば、だいたいあの時期だったが日付までは、というものもあり、いつのまにか・・・というものもあり。
最後のオシッコは、3月4日の22時半ごろだった。もうからだが辛くてまともに歩けないのに、私が無理強いしてオシッコをさせたのだった。でも、也々は本当にがんばってオシッコをして、だから、普通は亡くなるときにオシッコは漏らすものなのにあの子は一滴もこぼさなかった。
ンコは・・・。1日には出て、2日の日に散歩に連れ出したけれども出ず、3日、夫が休みの日に一緒に行ったけれどもやっぱり出ず(これが最後の散歩になった)、何度もいつになくにおいのきついオナラをするので便がたまっているのだろうとは思っていたけれどなすすべなく、そして、5日、亡くなったときにオシリから出てきた。この一年以上、毎日状態に一喜一憂したンコ。最後のンコはゆるゆるンコだったけれども、おなかにためずにちゃんとしてくれたのでうれしかった。

最後に食べたもの・・・最後にちゃんと食べた食事・・・厳しい食事制限のなかった頃の最後の食べ物・・・
最後にちゃんとお散歩に行けたとき・・・町内の一番隅まで散歩に行っていたとき・・・毎日5km散歩していた頃・・・忍者のように斜めの法面を毎日飛んでいた頃・・・
たくさんのたくさんの「最後」があったのに、ほとんどの「最後」はきちんと記憶さえしていないのだった。それを思うと、同じ毎日が平らかに続いていくものと信じていた自分のものの知らなさが悲しい。そのときどきの私に、今の平常がどれだけ得がたいことかと説いて回りたい。
そんなこともこんなことも、也々が身をもって教えてくれたこと。
 
3月4日の夜、夫が帰宅する前に、也々に顔を近づけていたら、苦しくて嫌がっていたのになぜだか、私のクチをいっぱいペロペロしてくれた。
也々に自分の死を予測する能力があるはずもないけれど、あの最後のペロペロを思うと底知れず悲しく、そして胸が温かくなる。

160325

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