・・・夏祭りのくじ引きは見事に外れました。
世帯が500軒、すべての賞を合計すると45本、ほぼ10軒に1軒は当たるのに、19年間一度も当たったことがないってなんなんだろうね。笑ってしまう。

平和式典のテレビを見終わってまほろばキッチンに買い物に行ったら、レジがものすごい行列で。日曜日・お盆前・台風前の3点セットだったからかな。

ものすごくびっくりしたこと。
大学時代、時折攻撃的な言動で嫌な思いを私にさせ(同じ部屋でため息をついただけで罵られた)、私が卵巣の摘出手術をした折には「子どもを産み育てない人間には生きている資格がない」と暴言を吐いた人が、立派なネトウヨになっていることをSNSで昨日知った。

私が生きてきた経験と彼女の生きてきた経験は違い、その中で培われてきた考え方や感情は違うから、彼女が私の立ち居振る舞いに激高することは私にとっては愉快ではないとしても、やむを得ないことだと自分を納得させるしかないと思ってきた。
彼女が私を攻撃するなら関わらなければいいと、27歳の時に思って接触を断った。私が親友だと思ってきた人がこの人と毎年欠かさず泊りがけで会うという関係だと数年前に知ってからは、その「親友」も私の内から絶たなければいられないほどいまだ不愉快は持続している。
物事の真偽よりも自分にとっての勝敗が優先するような偏狭な人間であることは知っていた。負けるのが嫌さに自分の過ちを認めないというような。思えばそういう彼女らしさは、ある向きから流れてくる単一の志向性のソースをもとに自分たちにとって心地よい言説を言い張り、何が真実であるか広く情報を収集し粘り強く検証し真偽に基づいて自身を省みるということのできないネトウヨたちと非常に親和性が高かったのだ。
まぁ、百田尚樹なんかを崇め奉っているあたりで底が割れているというようなものだがそれにしてもここまでとは。
 
私とは相いれない人でも、そういう攻撃性を「他者へ垣根なく関わることができる」と解釈すれば、彼女のような人は私のように壁を作る人よりも、人間の中では有用な人なのだと、私は本当に不本意ながら認めてきたのだ。
でも、今はもうきっぱりと言える。
彼女は有害である。この世から速やかに消えてなくなれ!
地獄へ向かうトロッコにターボエンジン積んでいたのが自分の知った人だと知って、どれだけ私は自分の人生を惜しんでいるか。ものすごく、もったいない。