今日の夕方の写真。
 
いつもは、ヒヨドリやムクドリしかいないご近所なのに、今年の冬はどうしてだかツグミさんがいる。それも10数羽。
家の前の電線にいっぱいとまるので、我が家の私道部分はフンだらけ。
寒いからかな。食べるものと言えば公園の野良ピラカンサくらいなのだが。

一年で一番つらい季節。今年は立春過ぎてもまためちゃくちゃな寒波が来そうで、すっかりドウツです。

7.魚のように 中脇初枝 〇
「きみはいい子」「わたしをみつけて」の中脇初枝のデビュー作だということで、bookoffで見つけて購入。
既読作と同じような手触りの小説を期待していたら大違い。まじめな純文学の文芸誌を間違って手に取ってしまったような・・・
自分の中の文学を目を凝らして見つめて水底から言葉を丹念に掬い上げて綴ったような印象。驚いたのはこれは著者が高校生の時の作品なのだそうで、やっぱり才能というものは人を選んで備わっているもので努力で埋められないものが厳然としてあるのだなぁ、と。
既読作が、著者が誰かの人生を照らすために書いたもの(と私は勝手に思っているのだけれど)だとすると、この本の2編は著者が自分を生かすために書いたものなのだ。そうして一生、自分のためだけに文章を綴る人もいるのだろうけれど、この作者が違う目的を持ってくれたことに、私は心から感謝する。

8.幼な子われらに生まれ 重松清 △
何冊かこの著者の本は読んだが、「イイ話」の予定調和なスタイルが「もういっか」となってしまってつい手が伸びない。
新聞で、キネマ旬報のベストテンにこの作品の映画化が入っているのを見て、ググってみたら映画が面白そうだったので、原作をとりあえず読んでみようと。図書館になかったのでこれもbookoffで。

9.世界の果ての子どもたち 中脇初枝 ◎
三重丸つけたいくらい。
戦中の満州の開拓村で、ただ嵐の一夜だけを一緒に過ごしおにぎりを分け合った、ともに国民学校一年生の、珠子と美子(ミジャ)と茉莉の三人の少女が、引き揚げ、差別、被災とそれぞれに辛苦の人生を送り、その一夜の思い出が決め手となって再会する。
たくさんの人に地獄を這いまわらせ、命を奪った戦争を経験した、隣同士の3つの国に生きるものが、幼子が手に握ったキャラメルを力づくで奪うような生き様を選ぶのか、たった一つのおにぎりを他者により多く分け与える幸せを選ぶのか、作者は私たちに真剣に向き合って本当に大切なことを問い直している。
図書館で借りた本だがこれは持つべき本と思い、Amazonで中古で購入した。また読み直そう(夫にも勧めて昨日一気読みしていた)。

10.きのうの神さま 西川美和 〇
「永い言い訳」がとてもよかったので他の本も、と思い借りてきた。
短編集。
映画の「ディア・ドクター」は気になっていながら見ていないのだが、この短編集は「ディア・ドクター」のための取材で余ってしまったネタを惜しんで書かれたもののようだ。
きめ細かい人物描写。好ましい。

11.恋のゴンドラ 東野圭吾 △
新作があると、つい図書館で予約してしまって、やっと順番が来て読むのだけれど、読み物として面白いのは面白いのだけれど、後に何にも残らない。きっと半年もすると内容も全部忘れちゃってると思う・・・

昨日の鳥活。場所はいつもの公園。

最初にベニマシコさんたちのいる草地に行ってみたが常駐おじさんたちもいないし気配もないのでウロウロ。
シメさんやイカルさんのいるところに行ったが誰もいない。
と、何人か大砲を持った人が取り囲んでいる樹がある。

何がいるんですか?と聞いてみたらアオバトだと教えていただいた。
めったにいぃへんねんからたくさん撮っとき、と。


たくさん撮った。
去年はお山で何度も「ぉわーーお、ぉわぁーーお」と鳴いているアオバトさんの声を聞いたけど、お目にかかるのは初めてだ。うれしかった。
またお山に行くから、声を聞かせてね。

後ろ髪ひかれつつも別のエリアへ。ルリ子さんを探すが会えず。トラちゃんにも会えない。


コゲラさんがいた。熱心に熱心につつく。


かなり近くで撮らせてもらえた。

10時過ぎてようやく日ざしが出てきた。


ツグミさんがドライフルーツ化したムクノキの実を食べてる。いい朝ごはんだね。


いつものジョビ男。


いつものモズ子。
鳥にもちゃんと居場所があって、広い公園の中のこの場所に行けば会える、というのは、鳥活をするようになって初めて知ったことだ。

さてさて、暖かくなってきたのでベニマシコエリアに戻ってみることにした。
やはり常駐の鳥活人たちはいない。
鳥は、シジュウカラやエナガ、コゲラ、メジロさんなどの混成部隊がにぎやか。
臆病なエナガさんが、寄り付いた樹に人が近づくたびにあっち飛んだりこっち飛んだりしてものすごく忙しい。
私たちは一か所でじっと待っていたのだけれど・・・


!!
ふいにエナガさんたちが目の前に飛んできた。激写激写!
(あんまり近すぎて望遠レンズでは撮れないくらいだった)
こんなにエナガさんをちゃんと撮ったのは初めてかも。

そのうち、混成部隊さんたちがいっせいに去った。


合間にジョビ子。

「ぴぴぴぴぴ」と声がして、奥の笹原から飛んできた鳥が二羽。
もしかして?


ベニマシコさんだった(例によって遠すぎてめちゃめちゃトリミング)。


ベニ子さん(あ、ごちそうさんのぬかみその名前だ)。


ベニ男くん。

貸し切り状態で撮れてお得気分だった。
アリスイさんには会えなかった。

14日の鳥活。場所はいつもの公園。


ゴイサギさん。ずいぶん近くにいてくれたのだけど、あちこちかゆいらしくて全然ジッとしてくれない。


ホオジロさんのメス。こないだ勉強したのでおなかの色でホオジロってわかったぞ。


すぐそばにいたホオジロさんのオス。この後連れ立って飛んで行った。つがいなのかな?


前回と同じ場所でジョビ男。


池のそばのメジロだまりのメジロさん。


メジロだまりに一緒にいるカシラダカさん、この時はエナガさんたちは見かけなかった。


これも前回と同じ場所にいたジョビ子さん。とても近くできれいなお顔を見せてくれた。


久しぶりに会えたルリビタキさんのメス。男の子にも会いたいものだ。

ゴイサギさんのいる池のそばの草地で、大砲を持った鳥活人たちが今シーズンはずっと常駐している。
前回夫が聞き込みしたところによると、ベニマシコとアリスイという珍しい鳥が来ているらしい。
お昼回ってもう一回あの場所を覗いてから帰ろうか、ということになり、行ってみると・・・


遠いから不鮮明すぎるけれど、ベニマシコさんのメス。


これはオス・メス。赤っぽいのが男の子(おしゃれね)。


これがオス。

大砲はとてもじゃないけど買えないので、いつかラッキーで近くに寄ってくれる時に写せたらいいなぁ。
夫は自覚しないまま撮った写真にアリスイが写っていて、私は撮れなかったのでいいなぁと言っていたのだけれど、ちゃんと視認できなかったのが悔しかったそうだ。

ということで、まだまだ鳥活は続く。

5.わたしをみつけて 中脇初枝 ◎
・・・またやってしまった。これも読んだ覚えが。
以前、NHKのドラマで、「てっぱん」の瀧本美織が孤児の准看護師の役のドラマをやっていたのを何となく見ていて、うわ~こんな暗い人間も演じられるんだ、とビックリした。
夏ごろに、例によってAmazonプライムビデオで「きみはいい子」という映画を見たのだが、小学校教師が虐待を受けているらしき生徒を気に掛け、でも粗暴な親を恐れてなかなか動き出せず、でも生徒の住んでいるアパートについ足を向けてしまう・・・といったシチュエーションが、入院患者に頼まれてアパートに虐待の様子を伺いに行くというドラマの筋と似ていて妙な既視感があり、後でググってどちらも原作者が同じで1つの物語を別の小説で書いたものだと知った。
それで改めて図書館で「きみはいい子」と「わたしをみつけて」を借りてきて読んだはずが「わたしをみつけて」の方を忘れてたという・・・
「わたしをみつけて」も「きみはいい子」も、人間のダメなところ嫌なところもきちんと描きつつ、その中の光明をはっきり見せて、読む人に力を与えてくれる小説だと思う。「きみはいい子」の映画もお勧め。

6.ポイズンドーター・ホーリーマザー 湊かなえ 〇×
小説としては上手だと思う。でも認めがたい。私は嫌い。
湊かなえは「告白」を読んだ時から後味悪く、その後「夜行観覧車」や「Nのために」などを読んだが「夜行観覧車」が多少マシと思えたくらいでやはり読後感の悪さ、人間の信頼を鼻で笑って貶めるような、エナジードレインしていくかのような物語性がどうしても好きになれない、というか嫌い。
こういう感じのミステリーを「イヤミス」というのだそうだが、いろいろ書いた中にこういう著書もいくつかあるというのじゃなしに、こういう話しか書かない、というのはどうなのだろうか。表現者が表現するものは自分の内面からいづるものだと信じている私がおめでたいのかもしれないが・・・
題名で、あ、毒親モノなのかな?と思って手に取った。これも先日読んだ「お願い離れて、少しだけ。」と偶然同じでオムニバス、というかいわゆる「毒親」と娘のかかわりにまつわる短編集になっている。
6つの短編のうち、最後の「ホーリーマザー」だけ書き下ろしなのだそうだが、ここで著者は「毒親」について全否定して見せる。

「(前略)毒親に支配されている人を、海でおぼれている人に例えて考えてみてよ。マリアはかなり沖で激しい波に飲み込まれて、息も絶え絶えに苦しんでいる。弓香は、浅瀬でばしゃばしゃもがいているだけ。本当に溺れていると思い込んでいるんだろうけど、ほんの少し冷静になれば、足が届くことが解るのに、気付こうともしない。先に助けなゃいけないのはどっち?なのに、浅瀬の弓香が助けて助けてって大騒ぎしていると、本当に大変な人が溺れていることに気付いてもらえない。(後略)」

これは、浜辺で海の様子を見ている人が言っては絶対にいけない言葉ですから(笑)。
沖で溺れようが、足の着くところで溺れようが、溺れるのは同じ。人は膝までの深さの水でも溺れる。水の深さ云々ではなく、その人が泳げるかどうか、その時の体力、メンタリティー、いろんな要素があり、溺れるか溺れないかが決まる。
著者は、たいしたことないのの大騒ぎしている人のせいで本当に助けが必要な人に助けが及ばないことを心配しているけれど、明らかに助けが必要な人は見てわかる。本当に助けが必要なのは「足の着く場所でしょ」と無視される人たちなんじゃないか?自分が溺れていることに気付かないものだっているのに。
著者のあくどさを思ったのは毒親ブームに乗って商業誌に5つも毒親短編を掲載しておいて単行本化の時に書き降ろしを加えて「毒親なんてほとんどウソですから」と突き放す。
嫌な人だなぁ。「絶対」って言っちゃいけないけど、湊かなえはもう読みたくない。