16.あなたならどうする 井上荒野 △
ナツメロの題名を借りた短編集。ちょっと色っぽいお話。
あんまり頭に残らず。

17.掟上今日子の遺言書 西尾維新 △
これもドラマ化の原作だったのでなんとも・・・

18.つるかめ助産院 小川糸 △
ドラマ化されたときに見たかったのだけれど余裕がないころで見逃したので読んでみようと思って。
お産の話は経産婦だとまた違った視点で読めるのかな。私はあいにく経験がないので、そうなんだ~とか、なるほど~とか感じ入る部分もあったが、経験者だと「だからなに?」みたいなものかもしれないので。
最後はなんだかスピリチュアルみたいな感じで無理やりオチをつけたような唐突感。
ドラマでは先生は余貴美子だったそうだが、脳内では吉田羊に変換されてしまった。おそるべしコウノドリ。

19.老乱 久坂部羊 △
この著者の小説は読みごたえはあるのだけれど、内容がグロテスクなものが多いので、3冊読んで後敬遠していた。
介護問題がテーマだとまたものすごい切り口なのではと恐れながら借りてきたが、認知症が次第に進む主人公の様子がじっくり描かれていて奇をてらったところがなく読みやすかった。主人公の日記がまるで「けえかほうこく(アルジャーノンの)」みたいな文調になっていくのがなんとも・・・
認知症の人への接し方として、困った行動をなくしたいと躍起になるほど行動がエスカレートしてしまうというのは、この先両親の介護をする際に覚えておきたいものだ。そううまくいくことでは絶対ないだろうが。

ちょっと読書ペースが落ちてしまった。ドラマ見るのも忙しいし、今は庭仕事も書き入れ時なので。

昨日は、ちょっと遠征して、奈良の北はずれと大阪の接するあたりの公園へ。

駐車場からウソがいるという広場までてくてく。
その広場の、アキニレの木の実やアジサイの実を食べにいろんな鳥が来るらしい。
広場に着くと、鳥活人たちが横一列に大砲を並べていた。
ウソさんは早い時間にはきていたが去ったらしい。しばらく待つことにした。


すぐそばに、ルリビタキの若いオスが。人を怖がらないでずっとそばにいる。たぶん、ここでウソ待ちをする人たちが餌付けてしまったからだな。催促するようにそばに寄って様子を見たりする。


横のアジサイの植栽にベニマシコさんが来た。遠くてこんな写真ばっかり。

そうしているうちに、口笛を吹くような物悲しい声が。鳥活おじさんたちが「ウソや」と教えてくれた。
はじめ、アジサイの茂みの中に飛んで入って、それからアキニレの枝先に飛び上がってアキニレの実を食べていた。


ウソ子さん。これは最初に止まったところのものを撮ったのだけれど、あとは枝の中とか遠いところとかに止まったものばかりでうまく撮れず。オシャレなウソ男さんの写真も撮れず。

しばらくして鳥活人を後に公園の中をうろうろしに行く。もう1種、出会いたい鳥さんがあったので。

池の周りの松の木を探すが、なかなか会えない。
ところが、会いたかった別の鳥を夫が見つけた。


ルリビタキのオスの成鳥。私は去年写真に撮ったけど夫は撮れなかったので会えてよかった。

別の松の木のところを探していたら、鳥活人が大きな松の木の下で大砲をかまえていたので便乗させていただいた。
恐ろしいほどの枚数の写真を撮ったのだが、いかんせん私のレンズでは遠いので写真はボツ。


合間にイカルさんを発見。松の木には、他にシジュウカラやヤマガラがいっぱい来ていた。

松の木を後にして道を戻る。モズ男とモズ子に会う。至近距離のメジロさんにも。


どこで出会ってもかわいいジョビ子。

往きに通らなかった遊歩道に足を進めようとしたら、スギの木に小さな鳥が・・・
松の木にいた子は遠すぎたけれどこの子はほんの近く。うれしい!


キクイタダキさん。


横から見るときれいだけれど、真正面から見た顔は結構笑えた。

また広場にちょっと戻ってみた。鳥活人はほとんど去ってちょっとだけ。3時ごろになって林で日陰になっていて寒い。
しばらくベンチに座ってウソを待ってみることにした。
10分もしないうちにまたあの物悲しい口笛が。定位置でスタンバイ。


待っている間にベニマシコさんが来たのだけれど、後ろ姿しか撮れず。でもこれまでで最接近。

ウソさんたちがまたアジサイの茂みに飛び込み、水たまりの水を飲んでからアキニレの梢にとまった。全部で5羽。でも遠すぎるのと逆光なので撮れない。そうしているうちにもう1羽。それがウソ男さんだった。綺麗な色はわかるけれどやはり撮れない(撮るには撮ったけれどヒドイ)。

ゆっくりゆっくり歩いて、アキニレの木の裏側に回った。少し坂になっているので梢に近くなり、順光なのでちょっと写真が撮れた。
そうしているうちに、アキニレからウソさんたちが飛び立った。と、隣の裸木の梢に。


遠くて「枝かぶり」だけど、ウソ男さんらしさが解る写真が撮れた。

3時を回ってどんどん冷え込んできたので鳥活これにて終了。
いろんな鳥さんに会えて実り多き1日だった。

今日は夫の帰宅が遅いので、風呂を沸かして、テレビの関西ローカルのグルメ番組をなんとなくつけてて、お風呂が沸いたので入ろうと「・・・濃厚な白湯スープが、ぜ」とテレビが言ったところで電源オフして、「ぜ?」に思わずしりとり、「絶好調?」「絶体絶命?」「絶滅すべきで~しょ~か♪」
・・・と思わず歌ってしまったほど、心にぐっさり「勝手にふるえてろ」が刺さってしまっている、水曜日の私であった。

県内の映画館では2月3日から上映が始まった。よかった。鬼スルーだったらどうしようかと思っていた。原作を読んだこともないし、内容もtwitterのタイムラインに流れてくる感想しか知らなかったが、これは多分私のためにある映画なんじゃないかと感じてた。で、日曜日に見に行った。
もう私54なんだよ、ヨシカと同じような女の子たちもどうにかこうにかその闇を抜け出して私くらいの年齢にはこの映画を笑って観ていられるものなんだよきっと、わかってるけど、わかっているんだけど、ああ、これ全部私のことで、もう胸にグサグサ何か刺さって痛いつらい苦しいと思いながら涙でぐちょぐちょだった。
いや、厳密に言えば、私はヨシカよりももっとダメダメなのだ。だって少なくともヨシカは同僚の来留美とはコミュニケーションとれてる。私にはできない。フツーに女子トークしたりなんて。

絶滅すべきでしょうか?

去年の暮amazonプライムビデオで見た映画に「永い言い訳」というのがあった。
いつの間にわだかまりができてしまった妻を不意のバス事故で亡くしてしまった作家が、同じ事故で亡くなった妻の親友の夫とその子にかかわる中で、人につながることで育っていく自分を自覚し、「人生は他者だ」という言葉にたどり着いてはじめて妻を失った悲しみの感情に身をゆだねることができた、という物語で、この「人生は他者だ」という言葉が私には痛くて苦しくて仕方なかった。
他者とのかかわりを上手く持てない私にはきっと人生は残らないのだろうとわかったから。

マンガの「逃げるは恥だが役に立つ」の7巻にあるこんな言葉も、読むたびに心に刃を当てられたような気になる。

もしも みくりさんに
振られたら
俺はまた
あの壁の内側に
戻るような気がする

そして
もう二度と
出てこないかも
しれない

でも

いつでもそこに
戻れるんだとしたら
今は 壁の外の世界を
味わい尽くしてやろうとも思うんだ

気が
遠くなるような
幸福感や
体の芯まで
冷たくなるような
痛みを

うらやましい。うらやましいけれど、私はもう、壁から出て行くには年をとり過ぎているような気がする。

更新ニュース(rssフィード)が挙動不審なので・・・


先日の、家の窓からのジョビ活。

・・・ちょっとテコ入れして直しました(^-^;