今日は夫の帰宅が遅いので、風呂を沸かして、テレビの関西ローカルのグルメ番組をなんとなくつけてて、お風呂が沸いたので入ろうと「・・・濃厚な白湯スープが、ぜ」とテレビが言ったところで電源オフして、「ぜ?」に思わずしりとり、「絶好調?」「絶体絶命?」「絶滅すべきで~しょ~か♪」
・・・と思わず歌ってしまったほど、心にぐっさり「勝手にふるえてろ」が刺さってしまっている、水曜日の私であった。

県内の映画館では2月3日から上映が始まった。よかった。鬼スルーだったらどうしようかと思っていた。原作を読んだこともないし、内容もtwitterのタイムラインに流れてくる感想しか知らなかったが、これは多分私のためにある映画なんじゃないかと感じてた。で、日曜日に見に行った。
もう私54なんだよ、ヨシカと同じような女の子たちもどうにかこうにかその闇を抜け出して私くらいの年齢にはこの映画を笑って観ていられるものなんだよきっと、わかってるけど、わかっているんだけど、ああ、これ全部私のことで、もう胸にグサグサ何か刺さって痛いつらい苦しいと思いながら涙でぐちょぐちょだった。
いや、厳密に言えば、私はヨシカよりももっとダメダメなのだ。だって少なくともヨシカは同僚の来留美とはコミュニケーションとれてる。私にはできない。フツーに女子トークしたりなんて。

絶滅すべきでしょうか?

去年の暮amazonプライムビデオで見た映画に「永い言い訳」というのがあった。
いつの間にわだかまりができてしまった妻を不意のバス事故で亡くしてしまった作家が、同じ事故で亡くなった妻の親友の夫とその子にかかわる中で、人につながることで育っていく自分を自覚し、「人生は他者だ」という言葉にたどり着いてはじめて妻を失った悲しみの感情に身をゆだねることができた、という物語で、この「人生は他者だ」という言葉が私には痛くて苦しくて仕方なかった。
他者とのかかわりを上手く持てない私にはきっと人生は残らないのだろうとわかったから。

マンガの「逃げるは恥だが役に立つ」の7巻にあるこんな言葉も、読むたびに心に刃を当てられたような気になる。

もしも みくりさんに
振られたら
俺はまた
あの壁の内側に
戻るような気がする

そして
もう二度と
出てこないかも
しれない

でも

いつでもそこに
戻れるんだとしたら
今は 壁の外の世界を
味わい尽くしてやろうとも思うんだ

気が
遠くなるような
幸福感や
体の芯まで
冷たくなるような
痛みを

うらやましい。うらやましいけれど、私はもう、壁から出て行くには年をとり過ぎているような気がする。

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