台風は去った。
台風を取り巻く雨雲を紀伊山地の山々が盾になって防いでくれたおかげで、奈良盆地は風もさほどでなく、雨もあまり降らなかった。
その分、紀伊山地から海側にあふれた雨水が旧大塔村、野迫川村、十津川村はじめ、和歌山の熊野川流域を襲い、被害が甚大になった。

去年の夏の暑い時は夫の休みごとに南の方へ行き、山の中で涼んでいた。今年は実家に通うことが多くてまったく山に行けなかった。そろそろ夏休みの人出も落ち着くし暑さも一時よりもおさまってきたから洞川方面にでも行こうかと思っていたのだが、この台風で道も傷んでいるだろうし山行きは無理そうだ。
もう、体内に緑成分がほぼ皆無になりつつある。緑が欲しい。うぉ~~~~~!!!

仕方ないのでまたエアコンの部屋でたまったドラマの録画を消化する休日か。

ヤフオクで入手した「鹿苑」という大輪朝顔を蒔いたのだが、暑さのせいか、玄関先で明るいせいか全然咲かない。せめて来年蒔く種だけでも採りたいのに・・・と毎日せっせと水やりしているのだが、さっき夕方の水やりで気づいた。上の方にのびて行き場がなくなり、雨どいの陰に隠れていた蔓に2つしぼんだ花があった。あーあ、どうして朝に気付かなかったんだろう。次の花はいつになるのかなあ。


fbでクリスマスローズの種をお分けした研究者の方が、なんかの学会の折に九州大学のさる方面から配布された種をまんま送ってくださった(内心いろいろ思うところはあったりするが種に罪はないので)。
「黄縮緬抱丸葉紅鳩筒白台咲」というお花らしい。変化朝顔好きじゃないけどこの色はいいなと思う。

目下の心配は台風。昨日のうちにすだれは片づけた。今朝雨戸も閉めた。南からの高温で湿った空気がクソ暑いからもうエアコンも入れてる。

前回上陸した台風はお伊勢さんの方から紀伊半島の付け根を横断するという暴挙に出たのだが、台風が最接近したあたりで気温はさほどでないのにムカムカするような蒸し暑さで目が覚めて寝られず、夫も実家の両親もそうで、後からあれは気圧のせいだったのかなと思った。おそらく965hPaくらいだったのか。普段生活していてそういう気圧はないので(山に登ればあるけど)、体がついて行けなかったのだろう。
今度の台風も上陸時に950hPaくらいを維持したままの可能性もあるから来るならもう1秒でも早く過ぎ去ってもらいたい。


久しぶりに咲いたブルースター。

対人関係で理不尽な目に遭ったことをいくつか忘れられないでいる。
理不尽、というか、相手が私にそう言う言動をするということは、私に対して何ら好意も愛情も相手は持っていないのだと心底思い知らしてくれるかのような。

例えば、腐って膨れ上がった卵巣をとるために腹をズンバラリンと10数㎝切った翌々日に、出産の会陰切開の痛さを「ほんとに壮絶な痛み!切ったことない人にはわからない」と(多分気持ちの根底に誇らしさと高揚があるのだろうと感ぜられるように)言われたりしたこと。
また別の人だけれど、卵巣のほとんどを失った私のところに大きなお腹で見舞いに来、その後、彼女が余計なことを他所に伝えたばかりに私は「子どもを産まない人間は生きる値打ちがない」という言葉まで賜ったこと。

私はどうも、だいぶ頭が悪いので、こういう目に遭ったときに「なんかイヤだ」とは思うのに、そのことの何がどうダメで何のために自分が傷ついているのかすぐに理解することができない。多分「イヤだ」という気持ちも表情に出ていないのだと思う。自分の感情をあらわにしてはいけない、感情を押し付けると自分から人は去るものだと幼い時から行動様式に組み込まれているからだ。

後から考えて、私という人間は踏みつけにしていいものだと親しい(と思っている)人から認知されているのだな、と気づくのだけれど。

気づいて、鬱屈する。理不尽だよなぁ、と思う。でも、どうすることもできない。

こういう鬱屈は放置しておくとどんどん膿んで、自分の内面はものすごく蝕まれてしまう。おまけに近年、その相手にとっての私の存在はやはり鴻毛のごとし、ってな感じであることを再確認した。
いろいろあったが今はしっかり絶縁した。

私には、だからともだちがいない。

結局、自分のことを誰かにちゃんと思ってほしい、わかってほしい、大事にしてほしい、と思うなら、自分が自分を大事にすることなのだ、とこの頃思う。
軽んじられたくない自分があるなら、軽んじられた時にきちんと抗議しなければならない。それには技術もタイミングもいろいろあって必ずしもうまくいかないかもしれないけれども、自分を大事にしている自分が、最低限度人として尊重してよと相手にきちんと主張することは、ごくごく当たり前なことなのだ。
そして、じぶんをきちんと大事にするものにこそ、ほんとうのともだちができるのだ。

一時、「相手に嫌われるから」「必死なように見られたらかっこ悪いから」などとその権利を放棄したら、「一生、自分を軽んじてよい権利」を相手に与えることになるのだ。
私はそうした。そして30何年もその権利を行使され続けた。

ともだちがいないことはけっして褒められることじゃない。私は貧しい人生だと思う。だけど、踏みつけにされないことを不器用ながらやっと選択できたこと、これは評価してもいいんじゃないか。
貧しくても、借金があるわけじゃないものね。


(夏中咲いてくれたユウスゲの今年最後の花)

「SUN」、「ミスユー」、「知らない」を聞いて、この人は、生きていきどんどん遠ざかる私を也々をなくしたあの時にいつも立たせてくれる歌を作る人だと思い、その後の活躍をだらだらと追ってきたのである。
生と死、と言ってしまうとむしろ軽々しいようなあの挟間をこの人は自分で行きつ戻りつしたから、あそこにずっと留まっていたくてもできない私に生きていくための折り合いをくれたのだと思った。

星野源の歌の中に見え隠れする死の影を私は好ましく思っていたのだった。

「恋」、「Family Song」、「ドラえもん」とヒットを重ね、その影が消えていくように思った。健康に生活しているまだ青年期の終わりにいる人がいつまでも死病の影をまとっていてはいけないと思うし、それはそれで仕方のないことだ。
どの曲も楽しい音があふれだして心が躍るが、それでも、この人が也々のあの時から遠ざかっていくのは仕方ない。
私が生きてきて一つの道をたどり、この人もさまざまの曲を作ってきて、ちょうど「X]という文字の交点のようにたまさか出会った、そして離れた、そんな風にこのところ思っていた。

朝ドラのテーマ曲を毎朝聞いて口ずさむ。マリンバのイントロ、細野晴臣の流れをくむエキゾチックな音、「恋」を思わせるものすごく早いドラムの音、楽しい音。
朝ドラらしい、さわやかな曲。「ああ、職人芸だ」と思った。

そんなこざかしい感想が今朝5時には完膚なきまでにぶっ潰されましたよ。

House Ver.風Cメロの歌詞。
それに続くサビの「音が止まる日まで」という言葉。
この人はまだ、あの場所のことを歌ってくれるのだなと涙が流れた。

ビックリするような暗黒な2番の歌詞。ドラマ主題歌はほとんど「デモ」なのだそうで、2番に続くように音も変えている(ギターの音がステキ)。曲の印象を全く異なるものに変えるSTUTSのプレイ。全編に基底のように流れるストリングス、特に2番の後の間奏部のキレ加減が心震える。
まあ、一度聞いてくださいませ。

キン太郎さん、シロさん、残念でした。
きっともう、しんどいことなく、楽しく虹の橋のところで遊んでいてくれるね。

ずいぶん亀なお悔やみになってしまってごめんなさい。

「居場所」の話。詳しいことわからないので勝手に書くけど。

役目を果たして、それを他の人と同じに評価されたいっていうのは、あたりまえのことで、別に何ぜいたくなこと言ってるわけじゃないから、それは、お礼を忘れちゃった人も他の関係者も、「ぼんくら」だったんだと思うよ。
・・・悪口言ってるわけじゃなくて、たいていの人は自分の中で完結してしまったことは気が付かなかったり振り返らなかったりの「ぼんくら」がデフォだと思う。集団で何かする時に、一人ひとりに目が届く、そのお礼をもらい損ねた人がいることに気付くタイプの人がいることが理想的だけど、小さな集まりだとそういう人が絶望的に欠けてることもあるよね。
「もらってないよ」って気軽に言えちゃう人もいるけど、そうじゃないものね。
私もその立場なら言えないや。

あなたは全然悪くないから。
集団の中で居場所がないように思っても、案外そんなことでもない場面もきっとあるのだと思う。あなたは有能だし、情に厚いし、どんな場所でもあなたを必要としている人がいるのだと思う。

もし、もしも、ありとあらゆる場所で疎外されても、私はあなたの味方だからね。
まーー、私に味方になってもろてもしゃーないやろけど(笑)

済んだ話を(多分的外れなことを)くどくどとごめんなさい。


7月の頭に咲いていたカリガネソウ。あまりの暑さにこれっきり咲かなくなってしまった。

6月の末に母親が背骨を折っちゃって(いつの間にか骨折というやつ)、この2か月実家に通っておさんどんをやってたので、文章を書く気力が全然なくて。
今月に入ってから通うのは週一くらいになったのだけれど、まだ骨くっついてないし、血液検査で腎機能もかなり落ちてる(eGFRが30切ってる)のが気がかりだったりで、親の老いに「とうとうやってきたか」「あーめんどくさい」などなどいろいろ思うお年頃だ。
それでもそろそろ、ここの放置プレーはアカンと思ってたのだけれど、夫が原因不明のおなかPで、このところは病人食づくり。しばらくおかゆで今日は久しぶりにふつうにご飯を炊いてる(昨日ゆで鶏を作ったのでそのゆで汁使って海南チキンライスを炊いてる)。

しかし、暑かった。
奈良は盆地で暑いと決まっているので、私は夏に暑いと愚痴を言うことは好ましくないと考えているので普段は言わない。でも今年はさすがに1日に1回くらいは暑いと言っていた。
だって、35℃越えは例年の奈良なら夏中で1度か2度あるかというイベントのはずなのに、連日35℃超、それも37℃とか38℃ってなーーんやそれ!?
これまで、岐阜とか埼玉の熊谷とかの気温に「そんな暑いところで暮らしてたら死ぬ」と他人事に笑っていたが、案外生きていられた。だが、もういい。もう結構。
今朝は嘘のように涼しい朝。このまま秋になればいいのになぁ。
お天気の神様、あんたに実力があるのはもうよく分かったから、もう高温も大雨も強風もかんべんして。


昨日庭に来たルリタテハ。