今日はアサイチで野暮用をひとつ済ませ、図書館に返却期限の本を返しに行き、小雨の中買い物のはしごをして帰宅して、「ギボムス」の録画を見てから図書館で借りてきた宮部みゆきの「三島屋変調百物語あやかし草子五之続」を1章だけ読んで睡魔に襲われ昼寝した。昼寝はよく眠れた。
宮部みゆきの新刊は人気があるからまだあとに予約者がたくさんいて延長手続きができないのでさっさと読まなければならない。もう一冊の「この世の春 上」もあるのでがんばらなければ。

ギボムスの録画を見ていて思った。
主人公と、転職を繰り返して今はパン屋のオーナーになっている男の話。
いつかすれ違っていたかもしれない誰か。毎日顔を突き合わせていてもいつかどこかのお互いにかかわるまだ知られていないエピソード。奇なる物語の中だけじゃない、この世に生きる人皆にあるエピソードの積み重ね。共有されていない、誰も知らない小さな事柄。
そういうことがわかっていく、光が当てられて、ああ、あの時のあの人があなたでしたか!と明らかになる瞬間は、とても心地よいものなのだと。
これは、人生の答え合わせなのだと、思った。
そして、もう一つ気づいてしまった。
答え合わせは語らいの中でしか得られないのだ、と。

あの時思ったこと、知ってほしかったけれど言うことができなかったこと、あの時はわからなくて今はわかったこと、そんなことの答え合わせをしたくても、語らうことができなければもう絶対に答え合わせはできないのだ。
だから、顔を合わせ語り合うのはとても大事だし、生きていて心を寄せ合うことは奇跡なのだろう。
私には遠い遠い奇跡。

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