年のうちに書いておかないといけない。

星野源の「Same Thing」の配信を10月14日の朝にダウンロードした。
私は凡庸でただただ音楽を聴いたり歌ったりすることが好きなだけの初老女性なので、語彙も知識もなんにもない。だから自分の感覚だけを言葉にするけれども。
お若い方からは笑われるだろう。星野源はだいぶ遠く先に行ってしまった。
「POP VIRUS」まではまだ大丈夫だった。少しだけ先を歩いていて、ちょっと手を伸ばしたら背中に届きそうな気はしてた。
でも、「Same Thing」は違った。厳密に言うと、4曲配信中の「Same Thing」と「さらしもの」は違った。
おもしろさはわかる。そういう音を目指したいんだろうというのもわかる。でも、自分の中でずっと鳴ってきた歌ではない。
おばあさんが、かわいい孫に、あんまりよくわからないんだけれど孫の持っている夢を、それが孫の願うことなのだから事の善悪好き嫌い関係なしに「そうだね、ゲンはそうしたいんだね、ふむふむ」なんて小さくこっくりしているようなそんな感じ。
そもそも、声にエフェクトかけた曲とかラップとか、今まで全然受け付けなかった。そういう前近代的なこの耳に、「Same Thing」や「さらしもの」をねじ込んできた、それだけでも星野源はすごいことだと思う。
特に「さらしもの」。サンプリングの単調に繰り返すジャズ風ピアノの音のテンポに近寄ったり離れたりするラップのテンポ。時にメロディラインをなぞる面白さ。また、サビ部分の秀麗なメロディ。その間もずっとサンプリングのピアノは鳴っていて不調和を遊んでる。
すごい曲だけれど、もうこれは私の身の内で鳴ってくれる歌ではない。
歌詞も・・・自身を「ツァラツストラ」と呼ぶことができるくらい(でもね、やっぱり連体形は「語りし」だと思うのよ)時代の先導者を自負しているんだなぁと。もう「世界の星野源」だもんね。
ビッグマイナーやリトルメジャーの好きなおばさんにはビッグメジャーはまぶしすぎるわ。

紅白では、「いだてん」や五輪がらみで「Hello Song」を歌ってくれるんじゃないんだろうか、なんて期待してたけど、「Same Thing」なのだそうで、そうだよね、世界の星野源だものそっちだよね、と納得しながら寂しいのである。

私は、星野源の「Stranger」以前のアルバムを持っていなかったのだけれど、母が死んでしばらくしてからなぜか夫が気を利かして「エピソード」のCDを買ってきてくれた。夫は「エピソード」がどんなアルバムか知らなかったので、私が喜ぶようなことをしたいと単純な思いで買ってきてくれたのだけれど、「エピソード」の中に「ステップ」と「ストーブ」という家族の死にまつわる曲が入っているという知識のある私は、すぐに聴くことができなくて、1週間くらいしてから聴いたと思う。
「ストーブ」は、火葬の終わるのを待つ家族の歌で、歌詞のどの部分も私にとっては生々しく、特に、最後の部分「またね、さようなら」を聴いた時絶句してしまった。
母の出棺の時に私が母にかけた言葉と同じだったから。

現実の星野源が如何様であっても、「ステップ」「ストーブ」の星野源、「知らない」の星野源、「SUN」や「ミスユー」の星野源は私の中でちゃんと鳴ってる。
そういう歌を私の中に取り込めたということ、それは幸福なこと。
だから星野源、世界へでも、宇宙へでも、好きなところへ行け。


これも今年咲いてくれてうれしかった花。
真っ青なアガパンサス。愛の花(ちょっと「POP VIRUS」ジャケット風味カラー)。

昨日は夫の年内最後の休日だったので買い物に連れて行ってもらった。
寄り道してネットで情報を得た場所にタゲリを探しに行った。すぐに見つかる。だが私たちのレンズでは遠すぎる。

例によって証拠写真。でも初見。

お昼前に帰宅してから近所でラーメンを食べて後、公園に鳥活に行った。

スマホをもってたむろする老若男女がいて異様。ポケモンなのだろうか。

ベニマシコのいるところに行ったら何人かの鳥活人がカメラを構えていたがわからず。移動。
前回ニシオジロビタキのいた場所に行ってしばらく見てみるがわからないので、角度を変えた場所から見てみるとちょうど林の方から飛んできたところだった。


この間よりもずっと近くで撮れた。

移動中モズ男に会う。

危険なジョビ男にも会う。

人通りが多いので、にじり寄ってなんとか大きく撮れる位置まで来たところでジョギングの人などに追われてしまって撮れないということもある。つらい、が、仕方ない。公園はみんなのものだから。


カワセミの証拠写真。
この後飛び去ってしまったが見える位置にとまったので夫にその場所を一所懸命説明するのだけれどわからなくて、そばで聞いていた他所の見知らぬバードウォッチャーのおばさんに「ありがとうございます、わかりました」と言われてしまって、それでもまだ夫わからず、やきもきする。最後にはやっと夫もカワセミの位置がわかったのだがすぐに飛んで行ってしまった。

私はこれで多分今年最後の鳥活なので昨日はなかなか鳥運がよかったかもしれない。
曇りの予報だったけれどそこそこ晴れて風も穏やかでいい鳥活だった。

1月中に手術の予定が入れば、昨日までに病院から電話がかかってくるはずだったが無かったので、夫の手術は2月以降になるのだろう。
普通のがんならこんなに悠長なことを言ってられないと思うのだが、前立腺がんは進行が遅いらしいのでこういうものらしい。こういうものらしいとはわかっていてもやっぱりいろいろ気がもめる。さすがの呑気な夫でも「落ち着かない」と言うほどなので、人間のできていない私の様なのはなおさらである。
気持ちを上手くなだめて不安やいらだちと自分を切り離さないと、と思うんだけれど、全然うまくいかない。
楽しいことやくつろぐことを上手に毎日に取り入れないといけないんだけど。ダメだなぁ。

人とかかわりを持たないから私の人生経験は浅いのだけれど、今年はいろんなことを学んだ。
生き死にと、離別というのは、これは為す術の無いものなのだ、ということを思い知ったのはよかったのかもしれない。
何度言っただろう。「仕方ないね」「しょうがないよね」。
仕方のないものだと思わずにどうしてこれが耐えられよう。どう抗っても起こってしまうことがらなら、あるがままに受け取るしかないのだ。
いつか、一番かけがえのない人ともこうした離別は来る。それまで悔いないように生活する。これからどんどん年をとるのだから立派にその時に立ち向かえるよう、日々努力しよう。

三原順が亡くなって25年だそうで、豪華画集が出るらしいとtwitterで知り、その値段に愕然とする(10K!)。
ちょっと手を出しにくいお値段だ。でもなぁ、三原順だしなぁ。
復刊ドットコムで三原順の「かくれちゃったのだぁれだ」という絵本が復刊されたことがあって、その時はまだ我が家もそんなに貧窮生活ではなかったので飛びついて買ったものだ。たしかあれも10kくらいした。
今は厳しい。手に取ってみたいけれど、多分全部見たことのある絵だろうし、描き下ろしはないしな(!)。
で、今回の画集をAmazonで見たら、関連本として「かくれちゃったのだぁれだ」があがってきていてなんとそれが新装版らしい。しかも非常にお求めやすい価格になっております(笑)。ひどいよ。

一昨日、一年間待ちに待っていた山岸凉子の「レベレーション 5」を入手したのだけれど(単行本になるのが毎年12月の末なのだ)、その中にはがき大のフライヤーみたいのが入ってて、どうもギシ先生も画業50年だということで画集を出されるらしい。お値段を見るとなんとなんと30k!!!!!
さすがギシ先生。でも確かに、山岸凉子のカラー画は極めてハイレベルだからそれくらいの値段にはなるのだろうが・・・
このあいだ、大阪うめだ阪急に見に行った萩尾望都の展示会でも物販コーナーで何万もグッズを買っている元腐女子のマダムをたくさん見たので、こういうものを何気に買える方々も世にはいらっしゃるのだろう。我が家のおサイフとは次元の違う話だけれど(泣)。

あーー、またお金の話になっちゃった!


タネから育てて初めて咲いたササユリ。
スマホでも撮って、母に見せてあげた。なんで今年初めて咲いたのかな?

今、黒豆を圧力鍋で煮ているところ。
今日のは練習で、本番はまた後で、ということになるが、黒豆を煮る練習は授業料が高いのが難点だ。

「スカーレット」の、火曜から木曜までの3回の録画を昨日の夜まとめて観た。
twitterのタイムラインを追ってたらどうも水曜はジョージパパが死ぬ回で、北村一輝の死に際の演技が怪演らしくて、なんか観たら決壊しそうだと思ってちょっと避けたい気持ちだったのだけれど、観たらやっぱり決壊してしまった。
あまりの横暴さとダメさ加減で「琵琶湖に沈めたる」と「スカーレット」クラスタの皆様方から言われていたジョージパパだったけど、死ぬ親ってみんなあんな風に帳尻合わせてくるものですか?
イイコイイコは反則だよ、ひどいよ。夫の前では泣かないようにしてたのに、もうダム放流ですよ。
ほんとに親ってやつは・・・

昨日はバラを植え替えようと思ったのだけれど、よく見てみるとまだ芽が動こうとしているし、気温も年が明けても高めのようなので先送りにした。
玄関にバラの土が置きっぱなしでかさばるけれど、どうせ喪中だし掃除も満足にしていないのでまあいいや。

今日は風が強い。ボロ家は家鳴りがするでござるよ。

写真がないので年末でもあることだし、今年一年ふりかえってのお花の写真を。

球根を植えて3年目?だかで初めて咲いたイキシア・ビリディフロラ。
うれしかった。