拾遺的なこと。

母は、病状が進むごとに、なんだか天使みたいになっていった。
痛みもどんどん強くなっていたはずなのに、看護師さんや医師やケアマネさんを前にするといつも笑ってた。
私と同じ人嫌いで、他人に家に入られたりあまり近づきすぎたりするのが嫌いなはずなのに、親ばかならぬ子どもばかで言うのじゃないがホントにかわいらしく笑った。

私にはそれこそ親子逆転したように甘えた。爪を切ってやったり、耳掃除をしてやったり、髪をとかしてやったり体を拭いてやったりして、子の無い私が子どもの面倒を見るように母をかまった。
親とはいえ、私が支えるばかりであることをいつも恨んでいたが、多分こういうことだったのだと思う。私は母の親になるために生まれてきたのだ。

そんなだから、3日の朝、4時前に母の様子を見に行き、隣のベッドでグースカ寝ている父を起こせずに(声が出ないので)トイレに行きたいのに一人で行けなくてベッドの縁に座っていた母の切なげな様子に動揺して、ポータブルトイレに母を座らせたとき、つい、ぎゅっとハグして「産んでくれてありがとうね。大好きだからね」なんて言ってしまった。
ホントだけど、ウソ。ウソだけど、ホント。

5月20日から8月4日まで、体はこの上なく大儀だったけれど、私は母の介護ができてよかった。55年生きてきた自分の全部の能力を使って、母の最後の時間を支えられたと思う。
也々と生きてきたことがその裏打ちにある。私は也々に会えてよかったし、也々に会えたのはこの世に生まれてきたからで、それは結局産んでもらったおかげであるのだから、やっぱりウソではないのかな?

3日の午後、よく寝入っていた母の手をさすりながら少し傾いた日ざしを見ていて、40数年前母子家庭だったころ、都営アパートの部屋の夏のけだるい日の様子が白昼夢の様にイメージされてきて、半ズボンの小学生だった弟、アッパッパを着た私と母と、あれはとてもとても幸福な日々だった。
私は母が大好きだったし、病弱な母をいつもいつも心配していた。

今はもう、何も心配しなくていい。何にも心配しなくていいんだ。


母とのショートメール。
最後の送信が、「食べます」の一言と言うのが、笑って泣ける。
で、その焼き鳥は一所懸命1本だけ食べた。