今日は、母の誕生日だ。生きていれば76歳だ。
こんな「新しい時代」に生きてなくて、多分よかったんだろう。あの人は怖がりだったから、毎日気持ちをすり減らして暮らしただろう。
私としても、母の闘病が今年じゃなくて本当によかった。訪問介護や訪問診療、薬局の人、ベッドや酸素の業者、入れ代わり立ち代わり人が出入りする在宅看取りは、今の時代危険すぎるから。

一生分の不運のように思わないこともなかったが、案外ツイていたのかもしれぬ。

人間というのは、つくづく、じっとしてはいられない生き物なのだと思う。
観光業を、飲食産業を、盛り立てるための施策といいながら、その実、特定のどこかの懐を潤すためだけの事業なのだとわかっているのに、「お得ですよ~」の声にのせられて、旅行に行く、飲食に行くのを止められない。
PCR検査抑制の国の方針?のもと、感染してもそれとわかることが限られ、無症状でもスプレッダーとなり得る病なのだから、出歩かないこと、他人と飲食しないことが抑え込みの第一歩なのに、自分については例外と思うのか、そもそも病気のことをよくわかっていないからか。

いや、それよりも、やはり、人間というものはそういうものなのだろう。遊ばずにいられない。人と語らわずにはいられない。不安だから、なおさらなのだろう。
そして、遊んでも、人と語らっても、その不安を一人の時間に持ち帰ってしまう人の中に死を選んでしまう人もいるんだろう。

太宰治は、戦時中とても健康だった。
作家が書き物を統制されてしまう時代に、多くの作家が筆を折ったりあるいは時局に迎合した翼賛小説を書いた時代に、上手に「書きたいもの」と「書いていいもの」の間を綱渡りして数多くの作品を生んだ。
人々の不安の時代に、明るい、希望の多い、読む人の心に明かりをともすような小説を多産した。

今の自分に、もしかして戦時中の太宰と同じなの?という思いを抱いている。
私は自分を、心の弱いめんへらちゃんだと思ってきたけれど、だからこんな不安の時代には真っ先にへこたれると思ってきたけれど、全然そんなことはない。
庭で植え替えをしているだけで、時々早朝公園で鳥活をするだけで、全然毎日満ち足りているし、人と語らわずとも全く鬱屈しない(そもそも人と語らう方がストレス)。

今、世の中の人は、自分の不安と闘う人もいれば、遊んで気を紛らわしてやり過ごす人、はじめから不安をなかったことにする人、みな不安にきりきり舞いさせられている。
でも私は、生まれてこのかた、不安だけを友として生きてきたので、不安に対して人よりも耐性が強くて、自分なりの「新しい生活様式」を取り入れた後はわりと平然と暮らせてる。
だいたい、夫の病気やら父のことやら、忙しくて。

太宰は、世の中の不安がなくなってから3年しかもたなかった。
私は、この不安の時代の後、どうやって生きていくのかな?


秩序という花。

火曜日に父はリハビリ復帰。
以前のお試し期間の最初の時よりも動けてると理学療法士さんに言われてうれしかったようだ。

昨日は生協までお米を買いに行ってきた。

今年は、西日本はあちこちそうらしいが、奈良もトビイロウンカの被害がすごく、「坪枯れ」というらしいのだが、まだ稲の葉が青いうちに稲田の真ん中の大きな部分がごそっと茶色く枯れる現象があちこちで見られた。

茶色いブチのようになっているところが枯れたところ。

9月の奈良の作況指数は100超えていたけれど、あんなにあちこち枯れていて、自家用米も買わなければならないなんて話も聞くので実際はもっと低いんじゃないだろうか。
いつも食べる県産のヒノヒカリの新米がないかと見に行ったのだけれど、1年度産しかないので、滋賀県産のみずかがみの新米を買ってきた。

お米しか自給できてない国でお米がとれなくなったらどうするのかね。

フラゲした星野源箱はまだ何にも聴いていないし見ていない。
録画したドラマも全然見ていない。
このところは、縫物もお休みで、植え替えと読書だけ。
本は、楽しみにしていた「われらが少女A」の順番がようやく来て雨の土曜日に一気読み。
それから、新刊本コーナーにあった「ウイルスの世紀 なぜ繰り返し出現するのか 山内一也」という本を2日で合間を見てチビチビ読んだ。これも面白かった。

先月初めにやった健診の結果がようやく来た。
危ぶんでいた血糖値関係は拍子抜けするほど数値がよかったが、腎臓の方は軽度腎不全の一歩手前だった。
血圧高めなのと、鎮痛剤の多用だろうなぁ。しかし、ストレスも多いし頭痛いんだもんなぁ。しようがないよなー。


まあ、くねくねとやわらかく、アクロバティックに生きていきましょう。

雪割草がボロボロなので、手をつけるにつけられなかった植え替えをガシガシと行っていたのであるが、その日も使い切った配合土の補充を、と、朝7時から庭で土を研いでいたら、弟から電話があり、父がバイクで転んで救急車で運ばれたと。
幸い、骨も折れていず、頭の方も何もなく、ただ顔を地面に打ち付けたので唇を切ったのと、膝を打撲したので済んで、それから何度か実家に通ったりして、バタバタしているうちにここがおルスになったという。

父の方は、家の中での起居にも支障が出るくらい筋力が低下していて、脳梗塞の後、様子を見ているうちに早い梅雨入りをして家を出られなくなり、長い梅雨が終わったら猛暑で、それからは家で日がな一日テレビの番をしているような状態で、ロコモ・フレイルまっしぐらであったわけだ。
先週、地域包括センターの方から連絡があって、おためしで3月まで通っていたリハビリに有料ではあるけれどこれから毎週2回通えることになった。
今日は役所から人が来て、介護認定の見直しもあるらしい。

夫の方は、1週おき、2週おき、ときて、今度は尿道拡張術3週間おきチャレンジ中で、今週は3週間目で今のところ順調だ。次は1ヶ月チャレンジになるのかな?

コロナで、来年のこともわからぬ人類なのに、この国はとっても能天気に旅行に行ったり飲食をしたりして、クソみたいな税金の使われ方しても本気で怒らないどころかアクロバティックな擁護をするような人もいて、何にも、ホントに何にも、希望的な要素はないけど、それでその上、個人的な災難に付きまとわれ続けているけど、それでも、生きていくしかないじゃんね!

なんとか、「その先」を見てやろう。


ミツバツチグリの種が飛んだのか?とチリアヤメの鉢に生えてきたのを放置してたら、ヘビイチゴだった!

鼻炎がひどい。

秋のイネ科とヨモギやブタクサだろう。バイクで実家に行くともうてきめんである。
家の中でも、台所にいるとくしゃみが出てくるけれど、換気扇をつけて窓を開けていると、公園の雑草の中のヨモギの花粉が入ってくるようだ。

そんなことで、今日は久しぶりに耳鼻科に行ってアレルギーの薬をもらってきた。
耳鼻科は相変わらず閑古鳥が鳴いていたが、感染に正しくおびえる私はいつものように病院の時は使い捨てのサージカルマスクで頭にはニットのキャスケットをかぶっていた。
内科の薬ももうないので、病院のハシゴである。
内科の駐輪場でまたキャスケットをかぶり(つまり、バイク移動の時はヘルメットをつけているのでいったんキャスケットは脱ぐわけだ)、受付に診察券を出し、待合室が混んでいたのでいったん外に出た。
人が出入りする度に開きっぱなしのガラス戸の出入り口から離れたり、呼び出しに聞き耳を立てるためにまた寄ったり。
そうこうしていて、ふいに、ガラス戸に映った自分の姿の奇異なところに気が付いた。
頭のキャスケットの天辺が、ふくれているのだ。まるで、ちょんまげ頭に帽子をかぶったよう。
?????
帽子を脱いでみた。
中に、なんと靴下が入っていた!

昨日の夜にキャスケットと靴下を洗濯して、今朝乾いていたので取り込んで、靴下も一緒に取り込んでひとまとめにして玄関に持ってきて、靴下のことは全く忘却してそのまま出かける時に持ってきたらしい。何故か帽子の内側に靴下がしっかり入り込んでいてかぶるときもそのままかぶったようだ。

靴下は片方だけだったので、もう一方はきっと家にあるに違いない。とりあえずその靴下はポケットに入れて、処方箋と会計を待ち、調剤薬局に行って薬をもらってから買い物して家に帰ってきた。

・・・が、玄関やそのあたりを探したものの、もう片方の靴下はなかった。
靴下だけ家出をするようなことはなかろうから、多分もう片方も私は持ち出したのだろう。となると、帽子を脱着したのは耳鼻科の駐輪場だから、そのあたりに落としてきたのだろう。

どうして、私はこう、常人のしないような失敗をしてしまうのか。
あーーー、ほんまにオモロイ。

靴下は探しに行かなかった。気に入っていたのだけれど、仕方ない。


昨日、公園で見たキノコ。キノコの名前がわかるといいのだがなぁ。

奈良の感染者は今日は5人で、うち4人はどうも、このあいだの4連休の「成果」であるようだ。これから全国で同じようなことがたくさん起こるのだろう。そして来月からはGotoとらぶるに東京も参戦だ。