この花の名前は何ですか?

私にとってはおいしい釣り針だ。花の名前のことを考えるのが大好きだから。
私には他にとりえがないし、人の役に立てるのはうれしいし、花の名前をたくさん知ると世界が広がると実感していて、その心地よさをたくさんの人に知ってほしいから。
厳密に言うと、ほんのちょっと、そんなに花の名前知っててスゴイって言って、っていう意識もある。この、ほんのちょっとの意識が曲者なんだな。

実際のところ、花の名前なんてどうでもいい人はいっぱいいて、「この花の名前教えてください」って言う人の8割がたくらいはそれが本気じゃないことも知ってる。

同じ人が1年経ってまた同じ花の名前を初めて知ったように言う。そんな場面にfbで何度も遭遇して、ほんのちょっとなんだけどなんだか心が傷ついた。花の名前なんてどうでもいい人が大半なんだと知ってても傷ついた。
それでも尋ねる人がいたらお節介なもんでつい、「この花は・・・」なんて言ってしまう。

何度もそんなことをしてきて、もうイヤになった。
「この花は〇〇の花です」という度に、自分の中の「褒められたい気持ち」を後ろめたく感じる。その都度その都度小さな自己否定をする。
私が勝手にしていることだけど、花の名前を答えるたびに私は自分に傷をこさえている。
それなのに、その同じ人がまた花の名前を聞く。「えー、なんでよー」って思ってしまう。私の傷はどうなるの?って思ってしまう。

だから、「もう、おしえたらへん」。
今でもTwitterでたまに「この花の名前は何でしょうか」ってツイートが流れてくることがあるけど、つい、手が動きそうになるけど、やめる。
本当に知りたいことならちゃんとその人のところにその「知」はやってくる。
お節介はもうやめ。
よほど気ごころの知れた人以外には、この話題では絡まないことにした、というのが私の現在のスタンスです。


カワラサイコ、可愛く咲いてます。

改ざんとか日報隠しとかウソとかウソとかウソとか、セクハラとか暴言とかシビリアンコントロール崩壊とか、もうやだやだやだーーーーって叫びたくなっちゃうことばっかりなので。


昨日見た公園のハナミズキを貼っておきます。
せめていのちの美しさで心を洗おう。

昨日は也々が死んでから初めて、飛鳥歴史公園の高松塚エリアに散歩に行った。
あそこは也々が大好きな場所で、楽しかった思い出しかなくて、近くに行ってもどうしても足を踏み入れることができなかった。
暖かくて、梅の花も咲いてて、空も青くて、木々の梢も美しくて。遠くにアオバトも飛んでた。
也々はいなくてもいつも一緒に歩いてる。


16年前の2月20日、也々が家に来た日の写真。
今も毎日言ってる。也々、家に来てくれてありがとう。生まれてきてくれてありがとう。いつもいつもだいすき。

今日は忙しかった。
8時過ぎに家を出て図書館の返却ポストに本を返しに行き、耳鼻科に行って診察して採血して薬局行って薬もらい、内科に行って処方箋出してもらって薬局行って薬もらい、いつもの格安美容院に行って散髪をして、年末ジャンボの当選金600円を宝くじ売り場でもらい、花屋さんで犬の仏壇に飾る小さなブーケを買い、ディスカウントショップに行って特売食料品を漁り、帰宅すると12時前。花を飾って昼ご飯を食べて庭に出て、雪割草を栽培棚から日向ぼっこに引っ張り出して(6ケース)、
バレンタインに作ったテリーヌ・ショコラがおいしかったので大慌てで作り(湯せんの温度が低かったみたいで生地がモッタリしてしまい、失敗かも)、雪割草を棚に戻して水やり、晩御飯の支度、掃除、アイロンかけ、洗濯などなど・・・
あ、合間に、母の幼馴染のJ子おばちゃんに昨夜安否確認のメールを入れたので(西表島在住)そのお返事があって、またまた返事を書いたりしていた。
疲れた。

散髪は、1㎝だけ毛先を切って、と言ったのに、最初は1㎝だけ切ってくれていたのに、ひととおり切った後に同じところの毛束を指で挟んでまた1㎝切る、という謎の動作をする美容師さんで、その上すきばさみでやたらめったらすくので冗談のように短くされてしまった。まるで「慎太郎刈り」だ。いつか伸びる時を待つしかない・・・さすが1080円カットだ。

このところ夫の休みの鳥活で、奈良公園に来るある鳥を見に2回ほど出かけたのだが、1回は私は見たのだが、夫は見そびれちゃって、同じ鳥が来る京都の伏見に火曜日に行ってきたのである。そして、運よくその鳥が見られた。
また今度、リキのある時に投稿しようと思います。

一昨日、非常にビックリな出来事が。
庭でうろうろしているときに、なんか鳥の羽があちこちに落ちてる。最初認めたのは大き目の羽が3本ほどだったんだけど、気を付けて見てみると小さな羽がごっそり落ちているところがあちこちに。私はぼんやりなのでよほど経ってから、ああ、これ鳥本体は無事じゃないな、と気づいて。
実は去年の今頃も同じようなことがあって、その時は、お隣の敷地に「キジバトだったもの」が落ちていて、お隣の奥さんがものすごくビビってインターフォンを押して我が家に来て、どうにかしてもらえへん?というので手袋して新聞に包んで、見えないような状態にしてからお隣の奥さんと公園に埋めてあげた。
もしかして、本体の方がまたお隣に?と思い、鳥の羽の多く散乱しているところを我が家の敷地の中で探していたら、クロガネモチの木の下のところに鳥の糞がまき散らされていて(末期の脱糞だったのだろうか)ふいにお隣の設置した境界のラティスの上を見たら、「ムクドリだったんじゃないかな的な物体」が自らの腸らしきものでぶら下がっていた。
そして、その真下の、いつもキバナカタクリが咲くところのすぐ奥に、腰骨と脚が落ちていた。
肉食動物の、狩りだと思う。猫ならラティスの上になんて登らないから、たぶん、イタチ?
いつも鳥を見て楽しんでいるから何となく肩入れしてしまうけれど、私たちいのちは、いのちをいただくしか生きるすべはないのでこれは当たり前のことなんだ。これはイタチ?のいとなみなんだ。食後掃除していかないところは問題だが。
お隣の奥さんにこの惨殺死骸が見つかるとまたパニックになられると思うのでバラバラのものを丁重に集めて袋に入れた。かわいそうだけれど燃えるゴミに今日出した。

そんな話で終わるのは何なので、伏見の新高瀬川沿いの梅の花を。

・・・とか何とか言って、結局「Continues」のDVDも、「ドラえもん」のCDも買ってしまったのである。
でも、「ドラえもん」がらみであちこちでジャックしている紙媒体は「TV Bros.」以外は買ってない。「週刊朝日」も「MUSICA」も「Rockin’on Japan」も買ってないのだ。
紙媒体は音楽雑誌だと専門的なことにも触れているけれどどれも書かれていることは大差なく、グラビアはそれぞれベッコだけど服が違うだけで顔はみんな一緒・・・いや同一人物なのだが当然でしょ、って話じゃなく、「写真用の作り顔」が固定されてて、こんなこと言ったら全国ン千万人???の源クラの人に総攻撃されるかもしれないけれど、私にはむしろ、「不気味」の域だ。
星野源、アクターでもあるでしょ?「アキハバラ@DEEP」のタイコのような白目剥いてフリーズして頭から湯気出すのも星野源なら、「箱入り息子の恋」の分厚い牛乳瓶底眼鏡をかけたキョドった公務員も星野源でしょ。いろんな顔するのがアクターなのに、ミュージシャン扱い(ん?タレント?アイドル?扱い?)だとスタンプおしたようなおんなじ顔って虚でしょう?
本人の希望なのか事務所のウリなのか。オトナノジジョウで仕方ないんだろうけど。

そんなことで、「Continues」も「ドラえもん」もかなり批判的バイアスで視聴させていただいた。
 
どちらも、初回限定のお馴染み付録DVDがついてたけれど、特にニセ明、これはもう全然いただけない。飽きた。
「Continues」の方で、恒例の「君は薔薇より美しい」を初めて見たけど、私は布施明の歌唱力をものすごくリスペクトしているので、あの茶化しは全く受け入れられなかった。星野源はいい歌は作るけれど歌は上手くないのだから。
「ドラえもん」の方のスキーの方も、あの内輪ネタみたいなのを延々見るのもつらかった。

「Continues」の方は省くけれど、「ドラえもん」の方はやはり音の一つ一つが耳に残って、この一点でやはり星野源には屈せざるを得ないのか、と。
特に「The Shower」が秀逸。特に「ぎゅわわわ~~ん ぎゅわわわ~~ん」と歌うギター、SUGAR BABEの懐かしい曲を思い出して、こんなギターの鳴らし方を最新の曲に組み込めてしまう才能はすごいなぁと思う。全然古臭くないし。それと、The Jackson 5の「I Want You Back」を彷彿とさせる曲の構成も面白くて。
曲の最後の詩。

だれもきみのほんとをしらないし
ほんとのわたしをだれもしらないわ

これって、アイドル化された「星野源」というアイコンを熱に浮かされたように信奉する人たちへのアイロニー?
そんなこともないか。
モノを作るということは、誰でもない自分を突き詰めることであるけれど、そのモノを使って商売をするということは、誰でもない自分がたくさんの人々の中の自分だと錯覚させる仕事だから、その仕事が大きくなればなるほど、作り手は大きなジレンマを持つのだろうな。大変だ。