29日の日曜日、京都府の南西の端っこにある南山城村の童仙房(どうせんぼう)というところの廃校で開かれた「山の上マーケット2010」というのに行ってきた。

去年、ある人のブログに書いてあったのですごく行ってみたかった。それに童仙房という地名は園芸店で花苗などをよく見る人にはけっこうなじみだったりもするし。

今年は夫の休みは基本日・月なので日曜日開催だと行けるなワーイと思っていたけど、夫が行きたがらないかもしれないし…と思って打診してみると、こころよい返事をもらえた。
しし肉入りの焼そばがあったり手作り品が並んでいたり、それに夫が唯一たまに覗く奈良のカフェの「南果」さんも出店するというのにそそられたみたい。しかも童仙房は夫の好きな山道攻めをしないとたどり着けない山奥でそれもワクワクだとか。

で、時間の感覚の無い夫ではあるがちゃんと9時前に家を出発してガソリンも入れて走った。

春にハイキングに行った笠置の少し東の大河原というところから山道コース。のぼらないのでエアコン切って窓全開。
163号線あたりから田んぼの稲はもうみな実って垂れているので花粉も気にしなくてよいし。
対向車もなかったので前を走ってる車のペースに合わせてゆるゆると到着。でもまだ開場20分前。
しばらく辺りを散策。童仙房は涼しいということだったけど、確かに下界よりは涼しいけどやはり暑い~
でも、田んぼは金色になりつつあるし赤とんぼもいっぱい。ゲンノショウコが咲いてたり栗の実がなってたりやはり秋の気配。

11時前になったので会場に戻るともうそろそろと販売など始まっているのでいろいろ見る。

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サンキャッチャーのワークショップがあった。きれいなのでいつも欲しいなと思うんだけど、ちょっと手が出ない。宝くじ当たったら買おう。
伊賀や信楽が近い土地柄だからか陶芸家の作品もいっぱい。これも目の保養だけにとどめる。木工屋さんの箱なども楽しく拝見。
布製のものを売られているお店もあった。布ナプキンをさして夫が「あれ何?」と言うのでひそひそ説明。確かに見た目すごくかわいいもんな。

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↑ケーブルテレビの撮影らしい。右側のおばちゃんスタイルの人は男性。サザエボン(古っ)みたいな人だった。

早く家を出たのは、こういうマーケットに来ると食べ物が比較的早くなくなってしまうのでその対策のため。天然酵母パンのお店があったので早速ゲット。
中央にあるテントの下のテーブル席を確保して、お昼ご飯を交互に調達した。

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↑鶏から揚げ串とピーナツ入りちまき。飲み物はビールじゃなくてほうじ茶。

そのほかに夫が長時間並んでゲトしてきたしし肉入り焼きそばと五味子ジュース、四四丼(猪肉の牛丼テイストの丼)を食べた。おなかいっぱい。
結局南果さんのらふてー丼やゴーヤサンドは食べられずじまい。それにおいしそうな和菓子屋さんもあったのだけど食べられなかった。

帰り道、南果さんの隣の「喜喜茶」さんで氷で出した烏龍茶をいただく。
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これがものすごく香りよくてめちゃめちゃおいしかった~

(このお茶をいただいている時、他所の人に写真を撮られていたみたいで、帰宅してから「山の上マーケット」でブログ検索していたら私と夫の写真が載ってたブログがあった。ううう)

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校庭の入り口にトチノキがあって実がなってた。喜喜茶さんのお店の上にはカツラの木がとてもきれいに樹幹を広げて立ってた。
山奥で不便で人がいなくなって廃校になったのだろうけど、こんな素敵な学校なのにホントもったいない。

お昼過ぎに帰ろうとするとあたりは車がいっぱい。
帰り道は対向車もいっぱいでなかなかスリルで、夫はいたく満足のご様子だった。

22日の日曜日の晩に平城宮跡の「光と灯りのフェア」を見てきました。
暑いし夜だしそんなに混まないだろうかと思っていたらやはり日曜日で、会場外の二条大路からもうぞろぞろ。

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↑朱雀門

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↑お月様みたいのは光るバルーン。これも朱雀門。

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↑こちらは大極殿と燈火。

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↑同上。

いつもの持ち歩きのカメラは手ぶれ補正もないし暗いところは弱くてしかもズームもきかないし、三脚も持ってないので、こういうところでは写真が撮れなくてつまんなーい。
夫はあちらこちらに根っこを生やすのでキレイだったけど疲れましたよ。

ルバーブジャムをいただいたのでパンに塗って食べようとしたら、前日に買ってきた食パンが腐ってた…
道の駅の焼きたてパンコーナーで買ったんだけど、その後炎天下をバイクで走ってスーパーにも寄り道したりしたので袋の内部がすっかり結露していて、こりゃいかんと帰宅してから袋を開けて水気を飛ばしたんだけど台所も気温33度くらいはあるので、微生物が繁殖するのにはきっと最適だったんだろうと思われ。
でもいつも食べるのよりも高級な食パンだったのになぁ。頭の中がジャムパンになっていたのでお昼は冷や飯をふりかけで食べて悲しかった…

気を取り直してジャムはヨーグルトにかけて食べた。
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ウマーー
これはパンより、ヨーグルトのが断然おいしかった。
災い転じて福でした。
しかも、お通じにもいいし(効果テキメン)。

仙台なすというのもいただいて、なす漬のもとを買ってきたので漬けた。
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でもこすり方が足りなかったので色上がりは×。
お味は口の中できゅっきゅして楽しかった。
水なすの即席漬けはしょっちゅう食べるけど、こういう小なすの皮の噛み心地というのはまたオツなものですね。

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パプリカの肉詰め。
肉厚なので詰め物に負けず香りよくておいしかった。

みょうがは甘酢漬けにしています。昨日はゴーヤチャンプルーをしました。みんなウマウマ。バンザイ。

えと、「だし」は山形のだしのマネっこです。

嫁姑の苦労はしていないが、同じ屋根の下に生さぬ仲同士住んだことはある。
二度目の(つまり現在の)父になった人は根は優しい人ではあるが粗野で教養もないし物事を理屈で考えたり話したりできない人で、だからもともと子どもは中卒でいいという考えだったし大学などとんでもないことで、私の高校の授業料などはびた一文出さなかったし小遣いももちろんもらえなかった。そして母を通じていつも「おまえの年なら働いて家に金を入れるのはあたりまえ。食わせてやってるだけでもあたりまえと思え」と聞かされていた。
母子家庭の時は毎日心臓発作を起こす母のために医者のポケベルを鳴らし弟に食事をさせ毎夜母の愚痴を聞きと、立派な大人の役目を課せられていたのに、母の再婚以降は年を重ねているのにも関わらず私はコドモに格下げで、ちょっとでも母に横柄な口を利くものならこの父は「子どものくせに親になんて口のきき方や!」と怒鳴った。理不尽極まりない。
食事時に足を崩したと言って食卓ひっくり返されたこともあったかな。星一徹は昭和末期にはまだ確認されていたんです。
横暴で、男尊女卑で、封建的な人だが、それでも仕方ないと思っていた。分かり合えるなんて希望は早くから捨てたし、結局この父は末っ子の甘ったれでこちらが好意を示せばそれを無碍にはできないとわかったから、せっせと台所に立っておこちゃまな父の口に合うものをこしらえて手なずけた。
(父は長い間独身で、その母(私の義祖母)も料理下手だったので、飲食店で出るようなオムライスとかスパゲティとかかつ丼とか、ホットケーキだとかが好物だったのだ。)
そのうち、地元の名門校で私の成績がかなり上位だとなんとなくご近所に知れてしかも始終台所に立ったり義祖母の下の世話などをしているのも母がふれまわったので私は父には自慢の種になったらしく、大学に合格した時も当時は地方版に合格者の氏名が発表されたが私の名の載った紙面を今でも確か持っているというほど、私の大学入学も喜ばしかったようだ(だが学費は負担してもらっていない)。

義祖母というのは、これはもう当時80に近く、私たちが同居しだした頃は転んで大たい骨を骨折して入院していたがしばらくして退院した。白内障で目がほとんど見えなかったし耳は補聴器をつけていても遠く、しかも私には当時ちんぷんかんぷんだった奈良の和歌山よりの古い方言を叫ぶ(耳が遠いから大声)ので意思疎通は全くできなかった。
でも、私はヨイコだったから毎日
「おはよう」
「いってきます」
「ただいま」
「おやすみ」
と大声であいさつしていた。
しかし、義祖母には血のつながった孫以外は孫ではなかったらしく、食べ物とかお年玉とかロコツに差別された。
義祖母はよく電話で食料品店にあれこれ注文を出して配達してもらったのだけれども、お菓子とか果物とか大量に買って台所に置いてあっても、私と弟には一切くれなかった。それどころか、数が減った、食べただろうと疑われる始末。
義祖母の買うみかんはL玉の高級品だったが、私は、東京に行った時に伯父がくれる小遣いを温存しておいて通学路の途中にある小さな八百屋で一盛り100円のs玉みかんを買ってきて弟と分け合って食べた。
義祖母については特に何か対処しようとは思わなかった。血縁じゃなければ差別するというのはそれはそれで仕方ないだろう。こっちが「火垂るの墓」みたいに餓死しそうだったら別だけどみかんもらわなくても小遣いくれなくても死にゃしないし。たずねてきた父の兄弟たちにあからさまに母や私たちの悪口を言っていても(耳が遠いから隣の部屋にいてもわからない&大声)返って思っていることが筒抜けなのでダメージなかったし。
それに、結局のところどうせ先に死ぬ人だと思ってたし。
そういう義祖母の下の世話をしばしばしたのは、貸しを作るような気持ちで返って爽快だった。

義祖母の葬式の後の席で父は「どれだけ孫がいてもお母ちゃんの下の世話をしたのはつぶらだけだったやろ」と他の兄弟にけん制したみたいだ。そんなことで自慢されても…私にしたらかなり屈折した思いでおまる使ってましたから。

私は親孝行だと言われる。義祖母にならって私を姪だとは一切認めなかった義理のおじおばも口々に父に言うらしい。
でも、私はホントは親を親とは思っていない。都合よく私を使って生きてきただけじゃん。そして今は老いていろんなことをまた私におっかぶせようとしている。
でも、私はそんなことは全くおくびに出さず、きっとこれからも期待される人間像を演じ続けるんだろうな。
私の人生は結局そこだけにエネルギーが消費されてるみたいだ。くだんねー。