ルバーブジャムをいただいたのでパンに塗って食べようとしたら、前日に買ってきた食パンが腐ってた…
道の駅の焼きたてパンコーナーで買ったんだけど、その後炎天下をバイクで走ってスーパーにも寄り道したりしたので袋の内部がすっかり結露していて、こりゃいかんと帰宅してから袋を開けて水気を飛ばしたんだけど台所も気温33度くらいはあるので、微生物が繁殖するのにはきっと最適だったんだろうと思われ。
でもいつも食べるのよりも高級な食パンだったのになぁ。頭の中がジャムパンになっていたのでお昼は冷や飯をふりかけで食べて悲しかった…

気を取り直してジャムはヨーグルトにかけて食べた。
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ウマーー
これはパンより、ヨーグルトのが断然おいしかった。
災い転じて福でした。
しかも、お通じにもいいし(効果テキメン)。

仙台なすというのもいただいて、なす漬のもとを買ってきたので漬けた。
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でもこすり方が足りなかったので色上がりは×。
お味は口の中できゅっきゅして楽しかった。
水なすの即席漬けはしょっちゅう食べるけど、こういう小なすの皮の噛み心地というのはまたオツなものですね。

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パプリカの肉詰め。
肉厚なので詰め物に負けず香りよくておいしかった。

みょうがは甘酢漬けにしています。昨日はゴーヤチャンプルーをしました。みんなウマウマ。バンザイ。

えと、「だし」は山形のだしのマネっこです。

嫁姑の苦労はしていないが、同じ屋根の下に生さぬ仲同士住んだことはある。
二度目の(つまり現在の)父になった人は根は優しい人ではあるが粗野で教養もないし物事を理屈で考えたり話したりできない人で、だからもともと子どもは中卒でいいという考えだったし大学などとんでもないことで、私の高校の授業料などはびた一文出さなかったし小遣いももちろんもらえなかった。そして母を通じていつも「おまえの年なら働いて家に金を入れるのはあたりまえ。食わせてやってるだけでもあたりまえと思え」と聞かされていた。
母子家庭の時は毎日心臓発作を起こす母のために医者のポケベルを鳴らし弟に食事をさせ毎夜母の愚痴を聞きと、立派な大人の役目を課せられていたのに、母の再婚以降は年を重ねているのにも関わらず私はコドモに格下げで、ちょっとでも母に横柄な口を利くものならこの父は「子どものくせに親になんて口のきき方や!」と怒鳴った。理不尽極まりない。
食事時に足を崩したと言って食卓ひっくり返されたこともあったかな。星一徹は昭和末期にはまだ確認されていたんです。
横暴で、男尊女卑で、封建的な人だが、それでも仕方ないと思っていた。分かり合えるなんて希望は早くから捨てたし、結局この父は末っ子の甘ったれでこちらが好意を示せばそれを無碍にはできないとわかったから、せっせと台所に立っておこちゃまな父の口に合うものをこしらえて手なずけた。
(父は長い間独身で、その母(私の義祖母)も料理下手だったので、飲食店で出るようなオムライスとかスパゲティとかかつ丼とか、ホットケーキだとかが好物だったのだ。)
そのうち、地元の名門校で私の成績がかなり上位だとなんとなくご近所に知れてしかも始終台所に立ったり義祖母の下の世話などをしているのも母がふれまわったので私は父には自慢の種になったらしく、大学に合格した時も当時は地方版に合格者の氏名が発表されたが私の名の載った紙面を今でも確か持っているというほど、私の大学入学も喜ばしかったようだ(だが学費は負担してもらっていない)。

義祖母というのは、これはもう当時80に近く、私たちが同居しだした頃は転んで大たい骨を骨折して入院していたがしばらくして退院した。白内障で目がほとんど見えなかったし耳は補聴器をつけていても遠く、しかも私には当時ちんぷんかんぷんだった奈良の和歌山よりの古い方言を叫ぶ(耳が遠いから大声)ので意思疎通は全くできなかった。
でも、私はヨイコだったから毎日
「おはよう」
「いってきます」
「ただいま」
「おやすみ」
と大声であいさつしていた。
しかし、義祖母には血のつながった孫以外は孫ではなかったらしく、食べ物とかお年玉とかロコツに差別された。
義祖母はよく電話で食料品店にあれこれ注文を出して配達してもらったのだけれども、お菓子とか果物とか大量に買って台所に置いてあっても、私と弟には一切くれなかった。それどころか、数が減った、食べただろうと疑われる始末。
義祖母の買うみかんはL玉の高級品だったが、私は、東京に行った時に伯父がくれる小遣いを温存しておいて通学路の途中にある小さな八百屋で一盛り100円のs玉みかんを買ってきて弟と分け合って食べた。
義祖母については特に何か対処しようとは思わなかった。血縁じゃなければ差別するというのはそれはそれで仕方ないだろう。こっちが「火垂るの墓」みたいに餓死しそうだったら別だけどみかんもらわなくても小遣いくれなくても死にゃしないし。たずねてきた父の兄弟たちにあからさまに母や私たちの悪口を言っていても(耳が遠いから隣の部屋にいてもわからない&大声)返って思っていることが筒抜けなのでダメージなかったし。
それに、結局のところどうせ先に死ぬ人だと思ってたし。
そういう義祖母の下の世話をしばしばしたのは、貸しを作るような気持ちで返って爽快だった。

義祖母の葬式の後の席で父は「どれだけ孫がいてもお母ちゃんの下の世話をしたのはつぶらだけだったやろ」と他の兄弟にけん制したみたいだ。そんなことで自慢されても…私にしたらかなり屈折した思いでおまる使ってましたから。

私は親孝行だと言われる。義祖母にならって私を姪だとは一切認めなかった義理のおじおばも口々に父に言うらしい。
でも、私はホントは親を親とは思っていない。都合よく私を使って生きてきただけじゃん。そして今は老いていろんなことをまた私におっかぶせようとしている。
でも、私はそんなことは全くおくびに出さず、きっとこれからも期待される人間像を演じ続けるんだろうな。
私の人生は結局そこだけにエネルギーが消費されてるみたいだ。くだんねー。

むしむししてきましたね。台風のせいですかね。でもホント毎日暑くて大変そうな日本海側と違って、奈良は普通に暑いだけなのでどぉってことないのだ。

いや、そのむしむしじゃなくて。
虫嫌いの人はここで回れ右してね。

このクソ暑いのに、ウチの庭は虫がいっぱい来る。
クソ暑いからかな。ご近所に比べるとウチはみどりがいっぱいだから。

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毎年代替わりして居ついているカマキリさん。今年は玄関前が縄張りらしく、新しく導入したヨシズを早速検分にきた。

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どこぞにも貼ったけどウラギンシジミ。地味な表側は飛ぶとき以外は見せてくれない。

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ヤマトシジミ(貝じゃない方)。
今年は多い。ウチはカタバミ類かなり駆逐したのになぜだろう。

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ぬけがらさん。アブラゼミかな。
今年は2つだけぬけがらがあった。

毎日夕方に水遣りをすると待ってましたとばかりアシナガバチさんたちが水飲みに来る。
アシナガバチはこっちが手出ししない限りは攻撃してくることは無いと思っていたので「それそれ水飲めよ~」と特に恐怖を感じることなくその辺を飛び回るに任せていたが、とある人のブログで刺されて足が茹でたてのシャウエッセンみたいになっている写真を見たので危機意識も持つべきかなどと思った。

そうそう、オオスズメバチは怖いけど、凶悪なキイロスズメバチの天敵なんだそうで、むやみに排除したらアカンのやなぁ。

今日の懺悔。

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洗濯物を干していたらベランダに↑のようなものがいたので、朝からいちゃついてやがんなぁコイツはなんか胸毛がボーボーでドクガの仲間っぽいんじゃないの??とティッシュと小さなビニール袋を用意して手に毛や鱗粉がつかないように捕殺した。
で、何の植物につくガなのか?とあるサイトのドクガ科のページを見るが似たものが無い。
あれちょっと待て、この棒状に羽をたたんでとまるのはドクガじゃなくて・・・シャチホコガの仲間だった??
で、調べたらモンクロシャチホコというのだった。

ごめん、キミ等は無罪なのに死刑にしてしまった…
(ゴメンで済んだら裁判所は要らない)

数日後、結婚記念日で、しかも、なんというかもう、ギンコンシキなので、今日の昼は日ごろぜんぜん食べないおフランスなお店でコース料理なんかいただいちゃって、まあたいへんおいしゅうございましたというしあわせな時間を過ごしたんですが、帰りの車の中からすでにお腹に異変が起こっていて、帰ってきたらもう夢の超特急状態で、食べたものが悪かったのでは決してなくて(夫はなんでもない)、根っからのビンボー人の私には食べつけないものだったからなのか、と。

アミューズはアボカドとカニをセルクル型で抜いたもの。
かぼちゃのポタージュ。
きすとすずきと帆立貝のグリル(おなすで作ったソースがついてた)。
新生姜のグラニテ。
小鴨のロースト、ポテト添え。
(夫は牛ヒレ肉のソテーだった)
クレームブリュレ。
コーヒー。
りんごのピザ、アイスクリーム添え。

すごくすごくおいしかった~
次はキンコンシキのときに食べられるかな???
生きてれば。